時は未来,ところは宇宙 |
先日本屋さんでもらった1枚のしおり。よく文庫本などにはさんであるあれだ。何の変哲もない紙製でふつうは新刊の広告などが印刷してある。たいていはすぐに捨てられてしまう運命だ。
しかし,その日僕がもらった"それ"は違っていた。
科学雑誌のCMでもなければ,SF文庫のタイアップ広告でもない。NASDA(宇宙開発事業団)による次期宇宙飛行士募集の広告だったのである。それがどうしたと言われそうだが,僕はこの小さな紙片をしばらくながめ続けて時を過ごした。なにやらじんわりとした感動が胸の裡に芽生えていたからだ。
ああ,未来はさりげなくやってくるんだなあ。
かつて山ほど読んだ古今のSFには,主人公の青年(もしくは少年)が街で見かけた広告にのって宇宙への,そして壮大な冒険への扉を開くという物語がたくさんあった。その,未来を舞台にしたフィクションとしておなじみの場面が,今こんなにもさりげなく実現していることに感動してしまったのである。そうかあ,僕たちはいつの間にかそんな時代に足を踏み入れているんだ……。
考えてみればもう21世紀は目の前であり,昔のSFに描かれた198X年なんて時代はとうに追い越してしまっている。鉄腕アトムの誕生日だってもうすぐだ。自宅のちゃぶ台は今でも日本の家庭に健在だが,そのちゃぶ台の上のノートパソコンから世界中のコンピュータにつなぐことができるなんて以前は想像もつかなかった。こんな日常的な,あるいは通俗的な風景にハイテクが入り込んだような世界は映画や小説の中にもあまり現れない。
漠然と想像していた未来とはなんか違うなあ,と感じている人は少なくないだろう。それでもいつの間にか「時は未来,ところは宇宙」という時代になりつつあるのだろうか。
ごくありきたりな求人広告のように募集要項や問い合わせ先が記された小さなしおり。出版社や電機メーカーと変わらぬノリで宇宙飛行士の募集が行われているというのはSFそのものの風景だと思っていたが,現実にはまったく違和感を感じない。
子供のころから星や宇宙に興味があったし,長じてSFファンにもなった。けれど何年たとうと未来というのは手の届かないはるか時の彼方だという気がしていた。だがそうではなかった。
気がつくと未来はもう来ていたのである。