やっぱすごいわ小松左京


今,本屋の棚を見ると,SFというプレートがかかっているところはあまりない。業界ではSF冬の時代とやらで,SFと冠すると本が売りにくいのだそうな。"冬"ではない時代がいつ頃だったかについては諸説あるだろうが,青春時代に小松,星,筒井,光瀬といった日本SFの洗礼を受けた身にはちと悲しい話である。

何しろ今の本屋でSFとして並んでいるのは「パラサイト・イヴ」や「リング/らせん」といった本来ホラーに属するタイトルばかりである。それらの作品もそれなりに面白いのは確かだが,その棚に小松左京も光瀬龍も並んでいないのはなんとしても残念であり,情けない思いが強い。いつからこうなっちゃったんだろうなあ。

先日,久しぶりに小松左京の「氷の下の暗い顔」を読んだ。中短編4作収録で,昭和55年夏の刊行だ。表題作は地球を遠く離れた異星の地で,凍てついた湖の下にさしわたし十数キロに及ぶ巨大な「地球人の」顔が発見され……というお話。再読なのに興奮した。そのスケール,深い考察,奔放なイマジネーションに加え,なんといっても小説が上手い。

どんな分野でも,よい目を養うには本物に数多く接すること,とよく言われる。日ごろ小説の上手い下手なんてことはあまり意識することはないのだが,本当に上手い人の作品に接すると否応なくそのことを思い知るのである。小松さんは本当に上手い。プロ作家志望の人間は読まない方がいいかもしれない。読めば彼我の才のあまりの差に絶望するかもしれないからだ。

ここ数年,彼ら第一期の日本SF作家陣があまり新作を書かなくなったせいで,他のジャンル,他の作家の作品を読むことが多いのだが(元々乱読だし)なんというか故郷を遠く離れて1000光年って感じがしていた。久々に小松SFのめくるめくセンス・オブ・ワンダーに触れて「ああ,やはり自分の帰るところはここだ」と得心した気分である。しかし居心地がよいとか懐かしいとかいった後ろ向きの理由からではない。

はっきり言ってグレードが違うことをあらためて知ったような気がしたからだ。

今現在本屋の棚にあふれる小説の中に,この小松SFの中編ひとつに匹敵するレベルのものはほとんどない。小松左京の作品群は現在の出版界にとっては失われた超文明のようなものだ。現役の作家にそんな表現は不適切かもしれないが,氏の作品を本屋であまり見かけない現状では仕方ない。今売れている作家が書いているもの,これから先に書くであろうものを含めて,それらよりはるかに凄いものがとうに存在しているのである。

昔から氏を評するに巨人という言葉が使われてきたが,まさに巨人としか言いようがない。これじゃ誰も太刀打ちできんなあ。読んでいてはっきりとそのことを感じる。真に巨大な才能というものがこの世には存在するのである。

かつて「ゴルディアスの結び目」や「虚無回廊」を読んでいるときに味わった「今オレは途方もないものを読んでいる」という超絶レベルのセンス・オブ・ワンダー。小説にそのような境地があることを知らぬ今の読者たちには,いつか小松SFに触れる機会が訪れることを祈りたいものである。

そのとき彼らは自分の読書体験を一変させる大鉱脈を発見するはずだ。