本にはあとがきというものがある。積極的にあとがきを書く人もいればいっさいそういうものは書かない人もいる。まあ,文庫になったときくらい何かひと言書いてよ,という読者の勝手な要求も正直あるのだが,中にはご贔屓の作家の新刊が出るたびにこれを楽しみにしている方もおいでだろう。
あとがきに較べるとぐっと少ないが,まえがきというのもある。もしくは序文か。これらは出版に至る何らかの事情がある場合に付されるケースが多い。しかしあとがきと違って公式コメントみたいな堅めの風情があるので,まえがきがあってうれしいという感じはあまりない。
では映画の場合はどうだろう。あとがきや解説に相当するのはビデオ化の際のコメンタリーやメイキングのインタビューあたりだろうか。
ではまえがきは?そんなもの映画にあるのかというと……これがたまにはあるのだ。いや,まれには,と言った方がいいかもしれないが,映画冒頭でしかるべきえらい人が「ひと言ごあいさつ申し上げる」というパターンも実はあるのだ。
むろん,ここで言うのはDVDのオマケのために後で収録したようなものではなく,ちゃんと本編フィルムの一部として「前置き」が存在するという事例だ。そんな映画がかつては多かったのか否か,残念ながら僕の乏しいキャリアでは確言できない。手元にあるのもたった数作だけだからだ。
1931年の「フランケンシュタイン」はユニヴァーサル製ホラー映画の名作だ。70年も前の作品だが,映画史に残るべき立派な仕事である。クライマックスの映像的センスなぞ帽子を脱いで敬意を表する以外にない。一度見れば後の映画にどれだけ影響を及ぼしているかがよくわかるだろう。
さて,その名作「フランケンシュタイン」だが,まず劇場のカーテンの向こうからひとりの紳士が現れるところから始まる。彼はここで観客に向かって前口上を述べるのである。
当映画の上映にあたりカール・レムレからの警告を……(中略)これは生と死の神秘を扱った世にも不思議な物語……
カール・レムレというのはこの作品の制作者カール・レムレ・ジュニアのこと。この部分,チャプターの表記では「カール・レムレからの警告」となっていて,ほほう,プロデューサー自らあいさつかと思っていたのだが,よく聞くと「ミスター・カール・レムレうんたらかんたら」と言ってるので,本人ではないのかもしれない。でも大仰に目をむいたり顔の下からライト当てたりしてけっこう楽しそうである。
それはともかく,彼は軽く口上を述べた後,これはショッキングな映画だから気の弱い人は今すぐ席を立つようにうながしてくれる。そして
怖いのなんの……警告しましたぞ
と言って去るのである。この演出は自信のあらわれともとれるが,実際に映画の出来映えが見事なのでちっとも嫌味ではない。うーん,あんたたち立派な仕事をしたねえ,とうれしくなるくらいだ。自信たっぷりの前置きも好感度大である。
かたや1956年の超大作「十戒」ではこれもまた冒頭に前口上がある。製作兼監督のセシル・B・デミル御大がやはり劇場のカーテンの向こうから登場しておもむろに一席ぶつのである。「上映前にお話しするのは異例ですが」と切り出し,聖書とモーゼに関してひとくさり。
死海文書などにも触れながらまじめな口調で製作意図を語る。この企画の実現に力を注いだ氏だけにこれは自信のなせる業か,それともやっぱりうれしくてどうしてもひとこと言いたかったのか。
当時75歳で事実上これが遺作になった氏にとってはこの上映前に演説する姿は自身の映画人生における記念すべきワンカットだったのかもしれない。
上映時間は3時間39分 休憩もあります ごゆっくり
この後1分半ほど序曲が流れて(画面は真っ暗)それからようやくパラマウントのマークが現れ本編に突入という,まことに大がかりな映画である。まさに一大イベント。見る前に気力を充実させてから挑もう。
ちなみに十戒,十回,十階などは「じゅっかい」ではなく「じっかい」が本来の読みである。日本語って深いなあ。でも今じゃFEPも「じゅっかい」で登録されているようだ。ま,本題とは関係なかったね。
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万事ハイテンポな現代では上映前に制作者や監督が一席ぶつような作品が今さら作られるとは思えない。日本人ならなおさらそのようなこっ恥ずかしい真似はできないと思うが,威勢の良かった頃の角川春樹あたりならやったかもしれんぞ,などとも妄想する。
しかし最近は何が流行るかわからんからね。
新しいジュラシックパークのたびに映画冒頭でスピルバーグがあいさつするようになったらどうしよう。あるいは岩井俊二ならいいけど庵野秀明だったらちょっといやかも,とか。映画館には早送りボタンってないからなあ。