思案のあげくに吉と出た レオン-完全版-を見る

完全版とはなんぞや

最近は猫も杓子も完全版やディレクターズ・カットという具合で,ひとつの映画に数バージョンあるのは当たり前みたいになっている。スリラーとかサスペンスもので結末に別バージョンが作られることはあったけど,やはり映画は映画館で見るのが基本,劇場公開版をもって決定版にしてほしいなと僕個人は思っている。

そうは言っても映画は産業である。営業と作家性のせめぎ合いでいろいろ事情もあるんだろう。観客としては楽しませてもらえればよしとしようか。

しかしことが大のお気に入りの作品となるとちょいと事情も違ってくる。心に深く焼き付いているような作品に別バージョンがあるとなると心穏やかではいられない。自分の中で寸分の狂いもなく完成されている世界に異質なものを持ち込みたくはないのだ。

見るべきか見ざるべきか

普段はあまりそんなことにはこだわらないので「ブレードランナー」も「燃えよドラゴン」も「T2」も,あるいはその他の作品も劇場公開版/ディレクターズ・カット関係なしに楽しんできた。

だがリュック・ベッソン監督の「レオン」完全版,これだけは見ようか見まいかずいぶん迷ってしまった。それだけ初期版に愛着があるからだが,ひとつ重大な問題があったからでもある。当時の雑誌やその他の情報によるとこの完全版にはマチルダの「初仕事」のシーンがあると言われていたからだ。

初仕事というのはもちろん殺し屋としての,ということである。

うーん,ちょっと待ってくれ,それはないだろう〜というのが僕の偽らざる心境だった。というのも,最初にレオンを見たとき,彼女に最後まで引き金を引かせなかった演出がものすごく気に入っていたからだ。確かに訓練としてペイント弾を撃ってはいるが,人に向けて実弾を撃つことはなかった。それがどうした?と言われそうだが,これはこの物語の根幹に関わる重要なポイントなのである。

殺し屋は殺し屋

初期版ではマチルダは人を殺さなかった。故に彼女は決定的な一線を越えることなく普通の人間たちの世界に踏みとどまった。銃の(殺しの)手ほどきを受けた日々は彼女の精一杯の背伸びであり,悲しい結末ではあっても正常な世界に戻れたのは,彼女の手を汚させなかったレオンのやさしさだと思うのだ。

彼女に撃たせたいというのは誰でも考えるかもしれないが,それは二流のカタルシスであり,二流の演出家の仕事だ。殺し屋はどれほどドラマチックでもやはり殺し屋でしかないのだ。レオンはそれを知っていたし,監督もマチルダに越えてはいけない一歩を踏ませなかった。

家族(特に弟)を殺された憎しみや復讐心は本物でも,彼女自らが本物の殺し屋の世界に身を置いてしまったら,これは別の物語になってしまう。血の色をしていてもこれはメルヘンなのだから。

僕が完全版を見ることにためらいがあったのはそのせいである。

で結果はというと

よかったと思う。確かにマチルダはレオンの仕事に立ち会って半歩殺し屋の道に踏み込んではいたが,僕の恐れていたような決定的なものではなかった。

初期版のディテイルまで覚えているわけではなかったので追加されたシーンに違和感はなく,エモーショナルな展開も素直に感動できた。ああよかった,楽しめたぞ〜というのが正直な感想だ。

今なら僕にとってもこれを決定版にすることができる。とても好きな話だっただけに不安だったが,ホッとした。いやまったくいい映画であったな〜。