大切なものはみなここから

はじめて物語

日常何気なく使っているいろいろな言葉やイメージ。それらをいつどこで覚えたか,みなさんは思い出すことができますか?僕は映画を見るのも小説やコミックを読むのも大好きですが,そういったものから刷り込まれたものがたくさんあります。

今日は「大切なものはみな○○から教わった」という感じで自分の中のルーツをちょっとだけ紹介してみましょう。

テレパシーは美少女とともに

大部分の人間が逃れられない願望のひとつに超人願望というのがあります。スーパーマン・コンプレックスですね。で,超人とくれば超能力です。自分にこんな力があったら,とは誰しも思うことですが,超能力もしくは超常能力,ああこの甘美な響き!憧れましたねえ。あまりにも魅力的であるため,大人になってもその呪縛から逃れられない人が大勢いますが,まあそれはまた別の話。

僕が初めて超能力のひとつ「テレパシー」というものを知ったのは,子供のころ読んでいた手塚治虫の「ビッグX」からです。

主人公の(たぶん)恋人のニーナという女の子がテレパシー使いだったのです。心と心で会話する,あるいは人の考えていることがわかる不思議な力,という印象が新鮮でした。テクニカルタームとしてのテレパシーという言葉に触れた最初の経験です。

コミックというのは子供心に絶大な影響力を持っていますが,テレパシーとの最初の接触が手塚マンガだったというのは決定的でしたね。これが活字媒体の児童向け読み物か何かだったらここまで印象に残ったかどうか。

後に石森章太郎の「ミュータント・サブ」や平井和正の諸作でこの手の魅惑的な言葉にどっぷりはまることになるのですが,テレパシーだけは別格で,今でも僕の中の最初の超能力者としてお人形さんみたいなニーナのか細い姿を忘れることはできないのです。

バリアーに触れる

同じく子供のころ毎週毎週楽しみにしていたテレビ番組に「宇宙家族ロビンソン」があります。今ならみなさんご承知のとおり「ロスト・イン・スペース」ですね。

CGバリバリの映画版はさておき,テレビシリーズの方はあまり科学考証などにはこだわっていない,それ故にファミリー向けの楽しい作品になっていました。各キャラクターが魅力的だったしトラブルメーカーのドクタースミスとロボットフライデーのかけあいも人気がありましたが,夢見る少年(つまり当時のワタシ)にはあの明るい照明のマイホームみたいな宇宙船ジュピター2号はあこがれでした。乗ってみたかったなあ。

そしてもうひとつ,強烈にカッコよかったのが「電磁バリアー」です。

見えない壁を張りめぐらして近づくものを撃退する。僕はこれで初めてバリアーというものを知りました。ぴゅう〜んという動作音でバリアー発生器を操作し,テストとして小石を拾って投げつけると空中でバシッと破裂する。おおお〜なんと素敵なメカニック!

ディフェンスの頼れる切り札として(でもけっこう破られてたんだよね)SFらしいワクワク感のある小道具でした。後に「禁断の惑星」を見たときにも「宇宙家族ロビンソン」の洗礼を受けていたのでバリアーの描写自体には驚きませんでした。製作年度は「禁断…」の方が古いのですが,やはり初めての出会いというのは影響大なんです。

レーザーディスクはここより始まる

この一文を書いているのは西暦2000年1月下旬。かつて絵の出るレコードと呼ばれて脚光を浴びたLDもDVDの登場で黄昏の時代を迎えています。諸行無常は世の常ですが,今では生まれたときからCDがあった世代もいるわけで,そもそもレコードなどというものさえ知らない人がいるかも……。

それはさておきレーザーディスクというかビデオディスク。つまり絵と音の出る薄い円盤というものを概念として初めて見たのは,やはり子供のころの手塚マンガでした。ううん,偉大なるかな手塚治虫。さすがに神さまと呼ばれるだけのことはありますね。その発想の豊かさにはホントに敬服してしまいます。

さてモノは「鉄腕アトム」です。シリーズ中の「ロボイドの巻」というエピソードでした。進化したロボットであるロボイド一族の侵略に対抗するアトムが敵のアジトで出会った子供のロボイド。彼がアトムに見せてくれたのが「映像を記録したレコード」だったのです。

「僕たちの世界では本というのはこういうものだよ」ってな感じだったかな。

それは何気ないひとコマで,マンガの中の小道具のひとつに過ぎなかったのですが,妙に印象に残っていて,数十年後にLDの登場を知ったとき僕はこのひとコマを鮮明に思い出すことになりました。そして手塚治虫がどれだけ豊かで先見的なイメージを持っていたかをあらためて知ったのです。

余談ですが,手塚さんは自作にひんぱんに手を入れていたので,今読むとあれえ昔読んだときとちょっと違うみたい,と思うことがよくあります。このビデオディスク登場シーンも実は今持っている文庫版ではカットされているんです。だから僕にとってはあれほど印象的だった絵の出るレコードも幻のシーンとなってしまいました。ちょっと残念。

ちなみに僕の記憶が正しければ,そのシーンでレコードから壁に投射されていたのはビッグXの姿だったんですよ。

ディラックの海に沈む

エヴァンゲリオンのヒットはさまざまな影響をもたらしましたが,そのひとつに,それまでごく一部のマニアだけの密かな楽しみ(特権?)であった独特の専門用語や知識を一気に一般人?たちの間にあふれさせてしまったということがあります。

死海文書しかり,リリスしかり,生命の木しかり。オカルト(隠されたもの)がオカルトでなくなったわけです。残念ながらと言うべきか,必然的にそれらの言葉が持つ独特の神秘感は薄れ,急速にイメージを失ってしまいました。言葉というのは大量に消費されると手垢にまみれてしまうのですね。

それはともかく,ディラックの海です。エヴァでこの言葉を知ったというファンの方も多いでしょうが,僕のようなロートルにはまた別の感慨があります。同世代のSFファンにはわかっていただけると思いますが,光瀬龍氏の至高の傑作「百億の昼と千億の夜」こそが僕にとってのこの言葉のルーツです。

はるかな異星の荒涼たる地平で繰り広げられる夢幻のような戦い。あしゅらおうと姿なき絶対者との戦いのシーンに登場するディラックの海という言葉は実に不思議な響きをもっていました。

物語自体が想像力の極限に挑んだ超絶的傑作なので,登場する数々のイメージやセリフとともにこの「ディラックの海」は忘れられない言葉となったのです。

今となっては30年以上前にこのような作品が書かれていたこと自体が驚異ですが,当時の読者で後にプロへの道を目指した人々もいつか自作でこの言葉を使いたいと心密かに思っていたのではないか,エヴァで実に久々にこの「ディラックの海」に再会したとき,そんなことを考えたものです。