エーテルなき世界

物足りなさの理由

最近の「水戸黄門」はつまらない。うちのお袋さんも同意見だ。その理由についてはどうもうまく言い表せないようだが,黄門様の配役が気に入らないわけではないらしい。

確かに石坂浩二も里見浩太郎も水戸黄門視聴歴30年を超える我々には違和感ありありなのだが,長寿番組なのだから代替わりは当然だ。それはそれでかまわない。ワンパターンを通り越して不変の域に達している筋立ても予定調和が基本だからまあよしとしよう。あの番組は視聴者の誰もがストーリーを先読みできるほどの安心感がウリなのだから。

でもねえ,やっぱり今どきの黄門様はつまんないんだよね。僕にはその理由は明白だ。撮影がフィルムからビデオに変わったからである。

確かに昔からビデオ撮影のドラマはたくさんあった。特にホームドラマ系はたいていビデオ撮りだったし,そこにはなんの違和感もなかった。しかし,時代劇や刑事物といったジャンルはテレビ映画と呼んでいた時代からの伝統だろうか,たいていはフィルム撮りだった。いうまでもなく,その質感の違いは一目瞭然だ。

そして,ビデオ撮影によるあのすっきりと見通しのいい絵柄というのは僕には"未完成品"のように感じられるのである。何かが決定的に足りない。そんな感じが不満を拭えない原因になっている。

それらしさの理由

もう少し言うと,ビデオ撮影の黄門様のあの絵柄,あの質感はなんだかスカスカで,フィルム時代の映像に充填されていた雰囲気のようなものが全部画面の外に流れ出してしまっている感じである。映画本編に対するメイキングの,タネや仕掛けがバレバレの舞台裏映像,あれを思い出していただきたい。

理屈では1秒間のコマ数の違い(24コマと30コマ)が質感の差に大きく影響しているのだろうが,僕にはもう少しアナログなニュアンスがありそうな気がする。

フィルム撮りの黄門様には雰囲気や世界観まで含んだ目に見えない何かの媒体が,水や空気のように隅々まで詰まっている。ビデオ撮りの黄門様にはそれがない。

その"何か"に満たされたフィルム撮りの黄門様では弥七が何メートル飛び上がっても自然なのだが,ビデオ撮りの黄門様ではいくら同じアングルで工夫してもそんなに飛べそうな感じがしない。それを許す空気が画面を満たしていないからである。

このへんは刑事物やアクション物でも同様だろう。ビデオ撮りの刑事ドラマで撃つ拳銃のちゃちい感じといったら……。昔のフィルム撮りのドラマは今見るとなんだかボケボケに見えてイヤって人も多いだろうが,銃も弾丸も発砲の衝撃も絵柄の中にしっくりとなじんでいて存在感がある。今のビデオ撮りの絵柄では"見えすぎて"小道具のモデルガン以上の雰囲気が伝わってこないのだ。

ほぼ日常の風景で事足りるホームドラマなどはビデオ撮りでいっこうに違和感はないのだが,非日常や飛躍の多いジャンルになるほど作り手はこの絵柄から受ける雰囲気の質感みたいなものにこだわってほしいと思う。まあコストの問題もあるのはわかるけど。

傷つきたい理由

テレビドラマはろくに見なくなった僕だが,それでも漠然とした傾向みたいなものは感じている。不思議に思ってもいる。なぜ今のドラマはあんなにも攻撃的な人間ばかりなのだろう?

どのドラマも悪意や憎悪や嫉妬をむき出しにしたキャラクターがぶつかり合っている。見ているだけでげんなりだ。テレビドラマって基本的に娯楽だと思うのだが,みんなそんなにネガティブな感情に触れていたいのだろうか。疑問だなあ。おまけに芝居はやたら大仰になってるから疲れることといったら……。

癒しが求められていると言いながら,際限もなく敵意にさらされ傷つく主人公たちを描くのはなぜ?コメディやシアワセな気分に満ちたドラマが激減したのはなぜ?

確かに身のまわりは殺伐として世紀末以上に"もうダメかもしれない感"に包まれているが,それがそのままドラマのつくりに反映しているのだろうか。自分たちは傷つけられ,痛めつけられ,その果てにしか慰められない可哀想な存在なんだという憐憫にひたっていたいのだろうか。それはただの自虐趣味だろうに。

それともそんなふうに感じるこちらの方が実は脆弱になっているのだろうか。しんどい気分になるのが嫌でドラマから逃げ出しているのはこちらなのか……。

この時代に,この世相に,もっとシンプルでハートフルでハッピーなドラマやコメディは成立し得ないのだろうか,僕にはそこが疑問である。昔はよかったとは言わない。ただ,作品全体をソフトに包んでいた何かが流れ出して,傷口が直に外気にさらされているような,そんな手触りのドラマが一般的になっている気がする。

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こんなふうに,かつてはその(ドラマ)世界に充填されていた目には見えない何かが,いろんな面で流出してすっかり川底がむき出しになっているような感覚,これがどうも僕を今どきのドラマから遠ざけている理由のようだ。

現実もまたそんな世相であるというのがつらいところだが,そうであればこそドラマの作り手たちには冷たい真空の宇宙ではなく,クラシックでも暖かいエーテル宇宙を作り上げてほしいと思う。

決して高望みではないと思うのだが。