密林の養女

これがあの有名な……

雨の一日,長い間積ん読のままになっていたジョイ・アダムソン「野生のエルザ」を読んだ。映画化もされたあの世界的な大ベストセラーである。僕には映画版の方の記憶はまるでない。遠い昔,テレビの洋画劇場で見たような気もするのだが,ほとんどイメージが残っていないところをみるとこれは思い違いかもしれない。

もちろん,有名な作品なのでおおまかな内容は知っていたのだが,今回初めて原作を読んで「そういうお話だったのか」と納得した次第である。

アフリカを舞台に,ライオンの子を育て,やがて自然に帰してやった著者の体験をつづった動物文学の名作……なのだが,実際に読んでみてそのあまりの面白さに感動してしまった。なるほど各国で不朽の名作と讃えられたわけも実感できる。

「密林の養女」というのは人間に育てられた雌ライオン,エルザを指して著者が使った表現のひとつだ。

いまだ世界は広く,野生動物はのし歩き,人類の文明もほどほどで,ガタピシいうトラックを修理しいしいアフリカの大地を走っている。確かに悲惨な大戦も人種差別も様々な蛮行もあっただろうが,それでもITだのコンピュータだの遺伝子工学だのといった奇怪な世界はここにはない。

これがたかだか半世紀足らず前の世界なのである。人間はここで立ち止まっていてもよかったのではないか。この作品を読んでいるとふとそんな感慨さえわいてくる気がするのだ。

いい仕事してますね〜

それにしてもこれは名著である。何が素晴らしいと言ってこの翻訳ほど見事な仕事は滅多にないのではなかろうか。訳者の藤原英司氏はこの方面の仕事では有名な方のようだが,その訳文のこなれ方といったら並大抵のレベルではないのだ。

僕はこれでも活字派なので翻訳物の堅さみたいなものには敏感なのだが,この作品の訳文ときたらもう完全に日本語ネイティブの文芸作品のそれである。翻訳作品に感じることの多い今ひとつ壁を隔てたような距離感が全くないのだ。

以前レイチェル・カーソンの「われらをめぐる海」を読んだときにもその古風で香り高い訳文に感動したことがあるが,こちらは平明で読みやすく,生き生きとしてイメージ豊か。むろん,アダムソン女史の原著が優れているのだろうが,それにしてもそのへんの作家には及びもつかないこの文章には感服した。

残念ながら現在(今は2000年秋)は絶版のようだが,これはぜひ再刊して多くの読者の手に取られるべき作品だと思う。

翻訳といえば,実際の作業がどのように行われるのか門外漢にはわからないのだが,この作品を読んでいると所々あまりにも日本的な表現にぶつかっておや,これは?と感じるところがある。たとえば

ちょうどゴマシオをまぶしたにぎり飯の背中に,一本カンピョウで帯をひいたようなぐあいである。

これはどうみても西欧の人の文化にはない表現だと思うのだが,読み進んでいくとこういった例はあちこちに出てくる。これが意訳というものだろうか?非常に親しみやすい文章に思えるのはこういったところに理由があるのかもしれない。

エルザとくればこの曲

映画版は以前LDでリリースされていたのだがあいにく持っていない。LDがほぼ終焉を迎えた今では入手するのは難しいだろう。ああ,残念なことをした。買っておけばよかったなあ。

映画版といえばその音楽,特にテーマ曲の「BORN FREE」はたいへん有名だ。スクリーン・ミュージックのスタンダードナンバーになっているので,たとえタイトルは知らずともちょっと聴けばすぐに「あ,これかぁ」と思い当たるはずだ。007でも有名なジョン・バリーの作。

恥ずかしながら今日原作を読んで「BORN FREE」というのが原著のタイトルでもあることを初めて知った。読み終わった今となってはなんだかこれがとても意味深いタイトルのように思えてくる。なるほど〜そうだったのかあ,と。

ところで,これはずいぶん昔に何かで読んだのだが,あの有名な「スターウォーズ」のメインテーマはこの「BORN FREE」のメロディを裏返したものである,という噂があった。そう思って聴くとなるほどそう言われればそんな気もするなあ,という程度だが,興味のある方は試しに口ずさんでみると面白いかもしれない。

ともあれ,こうなってくるとぜひとも映画版「野生のエルザ」が欲しくなってしまった。著者とエルザの深い結びつきをこうまで鮮やかに印象づけられてしまうと「エルザ」のないライブラリをひどくさびしいものに感じてしまうのである。

早くどこかが再リリースしてくれないものだろうか。