吹き替えも……いいじゃん

映画ファンあるいはAVファンたちが自宅(のシステム)で映画を見る場合,どうしてもこだわってしまうのがノーカット,ノートリミング,字幕スーパーという定番仕様である。まあ気持ちは分かる。僕自身もかたくなにそう思いこんできたからだ。

しかし前のふたつはともかく,字幕の問題については考え直してみる余地があるかもしれない。最近なんとなくそう思えるようになってきた。DVDを見るようになったせいかな?

ローコストなプレーヤーを使っている限りLDとの画質差は問題ではないのだが,こと多機能ということではDVDは優れものだと感心している。特に字幕と音声の選択の幅が広いというのは面白い。音声で日本語吹き替えを選び,字幕はオフにする。完全に日本語吹き替えバージョンになる。かなりのタイトルでこれが実現している点が僕には新鮮だった。

確かに部屋の明かりを落としプロジェクターの大画面とサラウンドで楽しむ時間は快感だ。しかしいつもいつもそんな態勢で映画を見たいわけではない。そこが人間の勝手なところで,テレビの洋画劇場程度のノリで気楽な見方をしたい場合だってあるのだ。

DVDを見るようになってそんなのもありだという気になってきた。寝っ転がってカウチポテトな接し方をするのも悪くないなあってな感じ。

いうまでもなく,日本の吹き替え文化の水準は高い。たまにド外れなキャスティングで腰が引けてしまうケース(スターウォーズが初めてテレビでオンエアされたときのキャストは伝説的なまでにひどかった)もあるが,プロの声優さんはまず優秀だ。あ,この人なら安心,といえる名前も少なくない。

だからDVDでの吹き替え,僕はけっこう楽しめる仕様だと思うのである。同じ作品でも機材総動員の万全な態勢で見たいときもあれば,お気楽に寝転がって見たいときもある。どっちもあり,という柔軟さは意外とマニアックな方々にはないかもしれない。

しかしこういう見方をしていると字幕や吹き替えの情報量やニュアンスの差に気がついておや?と思うこともある。

先日「グッド・ウィル・ハンティング」を見たんだけど,その序盤のシーン。数学の教授が学生たちに向かって難題を提出し,それを主人公が密かに(あっさりと)解いてしまう。謎の天才は誰だ?という展開になるわけだが,このくだりで教授のセリフを日本語吹き替えと日本語字幕で比べると想像以上にニュアンスが違う。

たとえば字幕では「我々(教授陣)が2年かかって証明した……」とあるが,吹き替えでは「(この問題は)私でさえ2年かかった……」という表現だったと思う。行間を読むタイプの読者ならこの違いは教授のキャラクターにさえ関わってくることがおわかりだろう。

とはいっても吹き替えや字幕で接する限り完全に原本と同じというわけにはいかないのだから,あまりつついても仕方がない。ストーリーが完全に頭に入っているなら字幕オフ,言語はオリジナルという仕様で楽しめばいいのだ。「マイフェアレディ」の英語なんかずいぶん聞き取りやすいぞ。

そう言えば「燃えよドラゴン」の有名なシーン,リーが妹の仇オハラと対決する場面が面白い。リーに対してオハラは持っていた板を割って凄んでみせる。対してリーは「決着をつけよう」と静かに言う。字幕ではそうだ。でも彼のセリフは聞き取りやすく

Boards don't hit back

と言っているのがわかる。かつて富山敬の吹き替えでは「板は殴り返してこないからな」と言っていた。オリジナルに近かったわけだ。昔のLDの字幕はやはり「決着をつけよう」だった。なぜかこの部分だけはいつまでも吹き替えと字幕の違いが忘れられないのである。

そんなわけで,最近は吹き替えバージョンも悪くないなあと思っている。LD一辺倒の時代にはあり得なかったことだ。1枚で字幕スーパーと吹き替えの両バージョンが手に入るDVDの功徳であろう。