名画修復

青春は麗し,されど儚し

時にテレビのドキュメンタリーなどで,歴史ある絵画や壁画などの修復にあたる職人たちの仕事を見ることがある。それぞれ特殊技能を駆使して過去の偉大な芸術家たちの仕事に慎重に手を入れ,傷みを取り除くのである。

考えてみるとたいへんな仕事である。仮にミケランジェロの作品を見事に修復したとしても作者として名を連ねるわけではない。ミケランジェロはミケランジェロだ。由緒あるお寺の修復にあたった大工なら,梁の隅っこに自分の名を入れたりするが,まさかダ・ヴィンチのサインの横に自分の名を書き込むわけにもいくまい。

まさに影の仕事人,重要だがまず表には出ない。いくら立派な仕事をしてもそれを鑑賞する客の大部分は彼,もしくは彼女の名を知ることはほとんどないのだ。

その点ちょっとお医者さんに似てるかもしれない。人気スターの病気を治したからといって主治医の名がどーんと広まるわけではないからね。まあ,長くやってれば名医の評判は立つかもしれないが。

映画のフィルムも劣化する。映画会社がちょっと管理を怠れば,あなたの青春時代の麗しい思い出も速やかに退色してしまうのだ。カラーのはずなのにほとんどセピア一色になり果てた懐かしの名画に愕然とすることになる。これはけっこうつらい。映画にも時を経て降り積もった傷を治療するお医者さんが必要だ。

修復作業に敬意を

クラシックな名作のメイキングなどを見ていると,傷んだフィルムの修復の過程が描かれていることがある。公開何十周年記念のリバイバル上映とか,満を持してのDVDリリースの時などに,大金を投じてマスターの修復が行われたりするのだ

容易に想像がつくと思うが,これは大きな聖堂の壁画をこつこつと修復するような骨の折れる作業である。根気と忍耐の権化みたいな人間でないととても務まらないだろうなと感じる。短気な僕などがやらされたら1時間でぷっつんと切れてしまいそうだ。

最近の映画のように最初から全部デジタルデータとして作られていれば劣化もなにも心配する必要はないのだが,昔のフィルムはどんどん生気を失ってゆく。修復の上でデジタル保存という流れができればいいんだが,まあ,そんなお金はこの宇宙には存在しない。残念なことである。

余談だが「千と千尋の神隠し」のDLP上映用のデジタルデータは70数ギガバイトだそうだ。59ギガバイトという記事もあったが,いずれにしろ大スクリーンの上映に堪えるクオリティでも意外とコンパクトなんだなと感心した覚えがある。

さて,ヒッチコック監督の「めまい」のメイキングでは,このフィルム修復のくだりをかなり詳しく扱っている。1本の映画の鮮度をよみがえらせる過程がたいへん面白い。普段は気にもとめていなかったようなこと,たとえば撮影方式の原理がどうこうといった話もあらためて解説されると「ああー,なるほどー」と得心できたりするのである。

作業の基本は素材集めとデジタル修復(もちろん1コマ1コマ!)なんだけど,ここでもうひとつ「あ,そうか」と納得することがある。フィルムの修復というとつい映像のことばかり考えてしまうが,実はサウンドトラックも同じように傷んでいるということだ。音楽や効果音の修復もあったんだねえ。

ただし,どこまでが修復と言えるか,という問題はあるかもしれない。失われてしまった効果音を,新しく録音するのは修復なのか,それとも改変なのか。監督が故人であればそれはもう修復担当者のセンスにかかってくるわけだが,オリジナル至上主義者には別のこだわりがあるかもしれない。難しいところではある。

二人組に注目!

この「めまい」の修復を担当したのはボブ・ハリスとジム・カッツという二人組である。この一文を書くために他のメイキングにもあたっていたら,「マイフェアレディ」のメイキングにもこの二人組が登場しているのを発見した。そこでもフィルムの修復を担当していたのである。「めまい」ほど詳しくはないがデジタル修復の様子が収録されている。

ボブ・ハリスは他にも「アラビアのロレンス」なども手がけたということで,要するにこの二人組は名作修復のスペシャリストなのだね。

そういえば,その「アラビアのロレンス」のメイキングには修復作業に関するパートもあって,今回見直してみたのだが,そちらは全長版の復元に関するものであった。映像やサウンドトラックだけじゃなく,短縮版作成の際に失われてしまったオリジナルの復元という困難な作業もあるということだ。

そこではロレンス役のピーター・オトゥールがセリフの再録音をするくだりもあるのだが,歳をとってアフレコで昔の声を入れ直すというのはなかなか難しいだろうなと思った。監督も俳優も健在だったからこそだが,重要なキャストが故人になっていたらこういうこともできなくなる。

……と書いてから,待てよと思った。

今のCG技術は過去のニュースフィルムの中の人物と現在の俳優が握手する映像さえ作り出せるではないか。

絵も音も高度なサンプリングとデジタル処理でいかようにも偽造?できてしまうのだ。故人となった俳優たちの姿も声もそっくり作り出して"撮り直し"をすることだって不可能ではなくなる,そんな時代がそこまで来ている気がする。

便利な技術というのは使いたくなるものだ。どこまで手を出してよいものか……名作修復の担当者にとっては誘惑の多い時代になってゆくのかもしれない。