プレミアの風景

試写会は数あれど

もう何年も試写会というものに行ってない。行くも行かぬもまず応募して当たらなきゃ始まらないんだけど,なんだかハガキを書くのもめんどうという気分。そのうちころっと気が変わってばんばん応募するようになれば,晴れて試写会族の仲間入りってこともあるかもしれないが。

しかし,こまめにハガキを書いてる人でもめったに行けない試写会がある。いわゆるプレミアというやつである。それも一般人では着ていく服に困るような種類のものだ。

どこまでが一般の試写会でどこからがプレミアなのか,不勉強にして僕には定義できないのだが,招待された大スターが続々登場して行われるニューヨーク・プレミアとかハリウッド・プレミアなどという特別なクラスのイベント,とでもしておこうか。そう外れてはいないはずだ。

イメージとしてはアカデミー賞授賞式が始まる前の,有名スターが次々にリムジンで乗りつけて登場するあの華やかな感じに似てるかな。そうそう,映画「雨に唄えば」の冒頭のシーン,あの「宮廷の反逆児」(1927年度の大作だそうだ,ぷぷぷ)のプレミアのシーンを思い出していただきたい。あれだよ,あれ。

特にチャイニーズ・シアターでのそれは恒例で,プレミアというとよくここが登場する。まあ由緒ある劇場だもんね。前記「宮廷の反逆児」のプレミアもここだ。

もっと見せろ〜

DVDやLDのサプルメント映像を見ていると,たまに当時のニュースフィルムなどでこのプレミアの模様が収録されているものがある。しかしメイキングなどに較べるとプレミアの様子を伝えたものは意外と少ない。実際にはこの種の映像はたくさん残っているはずだが,もしかすると肖像権などの関係でなかなか収録できないのかもしれない。

となると,やはり自社作品の権利をきちんと管理している(うるさいとも言う)会社が有利なのか,ここでもディズニー系のソフトが強い。たびたび取り上げたので詳述はしないが,「白雪姫」とか「メリー・ポピンズ」といったタイトルではプレミアの模様もきちんと見ることができる。特典映像も通り一遍のものじゃないところはさすがだ。

「アラビアのロレンス」でもちょこっとだけプレミアの風景が収録されていたが,P・オトゥールはじめ,さすがにみなさんお若い。あるいは現役バリバリの精気のようなものがその顔つきに見える。

こういった映画本編以外の,マスコミの取材映像のたぐいも面白い。正規のメイキングなどとはまた違ったカラーがあってね。宣伝色もあるけど,ある種の報道色もあるという感じだ。フィルムで撮影されているあのタッチがなかなか大切で,これがビデオ撮影だとオーラが薄れる。まあ,このあたりは僕の好みだけど。

でもこの手の映像は残念ながらどれも短いのだ。もっともっと見たいのになあ。

それに,クオリティがずいぶん劣化しているものが多い。時代ごとに修復の努力がなされている映画本編のフィルムと違って,ニュース系の映像はなかなかそこまで手間をかけられないのだろう。ひとつでも多くのお宝映像を見たいと思っている僕たちにとっては,各社の努力に期待するところは大きいのである。

ロイヤル・ファミリーも登場する

人類の静かな滅亡を描いた「渚にて」の予告編には,世界6都市で行われたワールド・プレミアの模様がちらっと出てくる。ナレーションはいかにこの作品がすばらしく,かつ各国マスコミから賞賛されているかということを華々しくアピールするわけだ。

で,その中に東京でのプレミア風景も含まれているのだが,これが皇室も登場するいわゆるロイヤル・プレミアなのである。風格のある名作なので天皇家の方々がご覧になってもおかしくはないのだが,予告編に登場されるのは珍しいケースかもしれない。その時の試写会の看板には

GLOBAL WORLD-WIDE PREMIERE TOKYO

と書かれていた。同席した観客はさぞ緊張したことだろう。まだ50年代だからなあ。天覧試写会とでも言ったのだろうか。

そういえば,確か「スターウォーズ/帝国の逆襲」の時にも今の皇太子殿下が試写会においでになった映像を見た覚えがある。握手を交わしたキャリー・フィッシャーはきらきらした笑顔でプリンスを見ていた。皇族の方々というのは普段どんな映画を見ているんだろう,と誰かにちょっと聞いてみたい気分の光景だった。

最近パパになられたばかりの(今は2001年12月)プリンスが,子供のころ初めてもらったお小遣いで怪獣図鑑を買った話は有名だから,きっとテレビのウルトラマンはOKだったんだろう。いつの日かロイヤル・ファミリーご臨席でプレミアが催せるほどの怪獣映画が生まれることを祈りたいものだ。

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最近はただの試写会でもプレミアと称したりしているが,やはりプレミアというのは雲上人ばかりが参集する豪華イベントであってほしい。その方が華もあるし,夢もある。身近なスターというのは実はたいへん矛盾した表現なのだ。遠くてけっこう。手が届くようでは興醒めではないか。

モノクロの,古いニュースフィルムの中のプレミア風景にはそんな趣があって僕は好きだ。