ラシュモア山の真実

没入度120パーセントで見る

テレビの洋画劇場で幾度も放送されたヒッチコック監督の「北北西に進路を取れ」が新版DVDで登場したのでよっしゃと購入した。ワーナーの低価格戦略のおかげで迷いなく買えるのはまことにありがたい。CD並だもんなあ。

人間というのはがめつい生き物なので,自分でお金を出したソフトだと見るときの真剣度が違ってくる。無意識に「元を取らなくては」と思ってしまうんだろうか。テレビやレンタルビデオだと寝っ転がって見るけど身銭を切って買ったソフトだとそれなりに入れこんで見てしまう。

悪いことではない。集中力が違うと楽しみも深い。なるほど〜とそれまで気がつかなかったようなところに新しい面白さや仕掛けを見つけることもしばしばだ。この作品のようにテレビで見慣れているとなおさらである。どこまで潜っていけるかは観客次第だろうが。

実のところ,この作品にしても「もう昔見ちゃったよ」という意識があった。細部なんかろくに覚えていないくせにほどほどのサスペンスと追っかけのドラマと軽く見ていたのである。

いやあ,愚かな思いこみであった。百科事典に単独項目として載っている映画なのだ。その名は伊達ではない。

オトナの香りです

映画自体についてはいずれ機会をみて語ってみたいと思うが,今回何よりも感動したのはこの映画に詰まった大人の娯楽としての楽しさである。実に成熟した精神,大人の余裕,人生の豊かさ,そういったものを実感できる人々の産物ではなかろうか。

いたるところに幼児的な退行を感じてしまう今の世の中にはこの大人っぽさは望むべくもない,うーむ,昔は大人が本当に大人だったんだなあ,と妙な感心をしてしまったくらいだ。中年男の自分でさえこの成熟した世界(の雰囲気)には憧れてしまう。

DVD収録のメイキングをみているとその思いが一段と強くなる。

スタッフ(もうかなりよれよれだ)の製作秘話やヒッチコック監督の演出ぶりなどを聞いていると本当にうらやましいし,未熟さとは無縁の真の大人の仕事というものを思い知らされる。ガキの出る幕など寸毫もないという感じだ。

充実した仕事をしている人たちというのはいいなあ。素直にそう思う。同時にこういう世界なら人材も集まるはずだということがよくわかる。ハリウッドの懐の深さというか底力はこうして昔から支えられてきたのだろう。

ブロンド美女かくあれかし

この映画のヒロインはエヴァ・マリー・セイントが演じているが,そのノーブルで謎めいた美しさはまことにすばらしい。ヒッチ先生はこういう美女がお好みなのだ。僕もお好みである。いやそれはどうでもいいんだが,とにかくその魅力たるやまさに匂うがごときというクラシックな表現を持ち出さなくてはならないくらいだ。

メイキング中に挿入される撮影時のスチル写真がこれまたとてもステキで,彼女にしろ主役のケイリー・グラントにしろ,あるいはヒッチコック監督にしろため息が出るほどサマになっている。スターなんだ,本物の。

ところでこのメイキングでは彼女自身が案内役を務めるのだが,これが2000年春の撮影なのだ。24年生まれの女優を今こうして引っぱり出すのは僕にはちょっと残酷な気もするのだが,どうだろう。その全盛期の美しさを堪能した直後だけにいささか複雑な気分になった。

いや,それとも彼女はまだ現役の誇りをもってあえて登場したのだろうか。ナレーションだけで出演というのは思いやりのように見えてその実失礼なことになるのかもしれない……。

そうそう,メイキングらしくて面白かったもののひとつが彼女が語るNGなのにNGにならなかったシーン。彼女が発砲する直前に背景にいる後ろ向きの男の子がもう耳をふさいでいるというカットだ。有名なんだろうけど僕は全然知らなかったな。あれだけはっきり映っているのに監督はなぜそのままにしておいたんだろうねえ。

ラシュモア山の真実

あの有名なラシュモア山の大彫刻でのクライマックス,今回じっくりと見たおかげであらためて「こりゃすごいシーンだなあ」と実感した。ヴィジョンとしてもあの発想はホントにすごいと思う。ワンダーである。

実際は偉人たちの頭の上で殺人だの追っかけだのはダメとクレームがついてセットで撮ったそうだが,それにしても見れば見るほどあの山の彫刻は異様だ。日本人が摩崖仏に感じる感覚とは全く別種のものである。アメリカの歴代大統領はみなあの横に自分の顔を刻みたいのだそうだが,うれしいかねえ。ちょっとこわい気がするんだけど。

はっきり言ってよくまああんな酔狂なものを作ったなあというのが僕の正直な感想なのだが,それだけにあの巨大な人面像でのクライマックスというのはインパクトがある。

実際,あれはセット撮影でよかったんじゃないか?実物だったらあの偉容にはスタッフ・キャストともに足がすくんでしまうのではなどと思ってしまった。何より,あれだけのカメラワークは不可能だったろうし。

映画ではあの顔のでかさと人間の小ささの対比が印象的であらためて監督たちの手腕に敬服する。その後エンディングのあのシーンにつないでおしまいというのが本当に粋だ。うひゃーええなあ,大人のカップルって。

本編同様,一見以上の価値のあるメイキングであった。