後から見る予告編

予告編標準添付時代

予告編というのは当然の事ながら本編より先に見るものとして作られている。COMING SOONというわけで,もうすぐこんな映画が来るよと期待を抱かせてくれるわけだ。後で「だまされたー」と憤慨することもあるが,僕なんか劇場で見る予告編はけっこう楽しみである。10年も前から同じフィルムを使っているような地元商店のCMがなければもっといいんだけどね。

しかし世はAV時代。今やハリウッドの大作もヨーロッパの名画もDVDで手軽に手元に置ける。それも本編だけでなくメイキングやらコメンタリーやらのオマケ付きである。予告編にいたっては付いてて当たり前,なければ損したような気分になってしまう。思えばユーザーもぜいたくになったものだ。

ともあれ,そういう時代になると予告編より先に本編を見ることも増えてくる。逆に言うと,何度も繰り返し見た大好きな映画の予告編を今頃になって初めて見たよ〜という経験が増えてくる。

後から見る予告編。これはただのオマケ映像としてぼんやり見ている分には何ほどのこともないのだが,モノが自分のお気に入りで細部まで心に刻みつけられているような作品となると全然違う。自分はこの映画の観客としてはちょいとうるさいよという自負があるので,本編と予告編の間にあるニュアンスやタッチの微妙な違いに対してやけに敏感になってしまうのである。

「へえ」と感心したり驚いたり,時には想像力を刺激されていろいろ妄想したりするんだね,これが。

●私はげんきです

宮崎駿監督の「魔女の宅急便」は僕の好きな作品のひとつだが,昔出たジブリ作品のLDには予告編のサービスがなかった。公開前に劇場で予告編を見たこともなく,僕にとっては長い間幻の予告編になっていたのだが,最近ついにDVDがリリースされて(今は2001年6月)ようやくご対面となった。

おちこんだりもしたけれど,私はげんきです

これは覚えている人も多いだろう。この映画のキャッチコピーとして使われていたセリフである。本編の方ではラストのキキから両親への手紙の中で「落ち込むこともあるけれど,私この町が好きです」という形で使われている。ちょっぴり成長したキキのささやかな自信や喜びの気持ちがセリフにもあらわれていた。

で,面白いのは劇場用特報やプロモーションフィルムの中ではキキからの手紙の書き出し部分の「お父さん,お母さん,お元気ですか。私は元気です」というセリフが入るのだが,ここ,本編とはちょっとニュアンスが違うのである。

お父さん,お母さん,お元気ですか。私は……元気です。

この……の間の部分,どうしようか,素直に元気ですとは言えない(らしい)今の気持ちを何と書こうかというキキの憂いがのぞいている,そんな演出にも見えるのである。本編よりもう少し乾いた思いをしているらしいキキの様子がかいま見える,と言ったら大げさだろうか。本編大好き人間としては,今になってこういうシーンを見せられるとその微妙な違いについ妄想してしまうのである。

●今にして知る真実……なのかなあ

つまり,ああ,なるほどと今頃になって思ったんだけど,本編のラストに登場するキキからの手紙,ぼんやり見てるとキキが町に受け入れられたのでようやく両親に最初の手紙を出したんだと思ってしまうけど,そうじゃないんだね。

あのラストの手紙は両親へのあいさつと「私もジジもとても元気です」の後すぐ,仕事が順調であること,落ち込むこともあるけどこの町が好きだということ,町の人たちがよくしてくれること,すてきな友だちができたこと,休みの日に何か楽しいことがあった(らしい)こと,と続いている。

ここまでが便せんの1枚目。ということは……。

あれはキキからの最初の手紙ではなくその後の何通目かの手紙だったわけだ。そして本編には登場しなかったけど,予告編の中での,心から楽しいというわけではなさそうなあの「私は……元気です」という独白こそたぶん最初の頃の手紙だったのではないかと思う。

本編のラストとは違って,まだ自分の居場所に自信がもてない頃に彼女が書いたであろう「私は元気です」の便りにあの両親は何を感じたろう,などと考えてしまうのだ。

作ったときにはそんな意図はなかったんだろうし,こっちが勝手に妄想しているだけなんだろうけど,本編には描かれなかった部分が予告編の中にちらっとのぞけたような気がして面白かった……とまあ,そんなことが言いたかったのだ。ファンの妄想ここにあり,である。

後から見る予告編にはそんな楽しみもあるのだ。時には,だけどね。