ベン・ハーのメイキングに驚愕の真実を見た

おお,ジーザス!

イエス・キリストといえば人類史上もっとも有名なスーパースターだ。当然,古今東西のあらゆるメディアに登場する究極の人気キャラクターとなっている。絵画,建築,文学,演劇,音楽,映画からコミックに至るまで,およそ創作という分野に関わる者であれば一度は使ってみたい誘惑に駆られるお方だ。

映画においても何度となく描かれてきたこの超絶有名人,当然のことながらそのイメージもまた多様である。「この人はイエス様らしくない」とか「むむむ,なかなかそれっぽい」とか「おのれ,この監督には天誅を下さねば!」等々観客一人一人の内なるイエス・キリスト像によって受け取り方もさまざまだ。むろん「わあ,このイエス様かわいー」というミーハーでもそれはそれでいっこうにかまわないんだけどね。

そこで「ベン・ハー」である。

このハリウッド史上に燦然と輝く超大作,誰でもあの有名な戦車競争のシーンとチャールトン・ヘストンのやけにリキんだ下あごくらいは思い浮かべることができるだろう。当然ここで話題にするのは1959年のワイラー監督版である。

しかし,何度かリバイバルされたこの名作も最近はちっちゃなテレビのブラウン管で褪色したわびしい姿を見るばかり。本来この作品が備えている圧倒的な力を忘れている(まだ知らない)人が多いのではなかろうか。

ハリウッドの至宝に再会する

むろん,ホームシアター派は別である。

97年3月に発売された薄型ボックスの「ベン・ハー」デラックス版を見よ。222分のウルトラスーパーデラックスな本編は壮大無比な映像の金字塔である。ハリウッド映画の商業主義や大作主義をひねこびた目で批判するしか能がない評論家気取りのたわごとを粉砕する極彩色のパワーに満ちあふれている。ていねいなフィルムの修復作業にも感謝である。

ハッタリはあろう,商業主義もあろう,見栄や名誉欲もあろう,およそハリウッドで語られるすべてのダークサイドもまた色濃いかもしれない。にもかかわらず,この作品はそびえ立つ巨峰である。

この作品をテレビで見たあなた。それは間違いだったのだ。これはテレビで見るべきものではない。テレビで見てはならないものだったのだ。我が家の100インチスクリーンでさえ「すみません,これで勘弁してください」というレベルに過ぎない。

そしてこの「ベン・ハー」こそ僕が見たもっともキリストらしいキリストが登場する映画であったのだ。画面に見るその姿は今までに見た中でもっともイエス・キリストの姿としてどんぴしゃな絵になっていたのである。

そもそもこの作品,「BEN-HUR A Tale of the Christ」というタイトルになっている。つまりイエス・キリストの物語でもあるのだ。主人公ジュダ・ベン・ハーの苦難の道はひとりの男に投影されたキリストによる救済の物語とも言えるだろう。

この物語においてキリストがこれほどまでに重要な登場人物であったことを皆さんは覚えておいでだろうか……。

さて,その劇中におけるキリスト像であるが,実は一度もその顔が映し出されることはない。ある時は後ろ姿であり,ある時は遠景である。そしてまたある時はうつむいた彼の長い髪とひげでその顔は隠されている。

この演出は見事に当たっている。顔は見えずとも神の子たる若いラビのイメージはまぎれもなくイエス・キリストその人である。少なくとも僕はそう感じた。数十年ぶりで見た222分の後の余韻がすばらしかったのもこの演出あればこそだと思った。

華麗なるおまけの世界

ところでこのLD,デラックス版と銘打つだけにいろいろと映像特典が詰まっている。初めて見る「ベン・ハー」メイキングもそのひとつ。前フリがやたら長くなったがここからが本題だ。

このメイキング,さすがに貴重な映像の宝庫でサプルメント・マニアの血が騒ぐ出来映えである。なかなか見る機会の少ない歴代「ベン・ハー」の映像が拝めるのもうれしいが,その「先代ベン・ハー」のスケールが意外なほどでかいのにはちょっと驚く。小さな縄文土器を発掘に行ったら巨大ピラミッドを掘り当ててしまったような感じである。劇中のパレードのシーンで女性がトップレスなのには2度びっくり。規制の少ない時代だったのか?

というぐあいに歴代「ベン・ハー」をめぐるエピソードが紹介された後,ワイラー版「ベン・ハー」の本格的なメイキング部分に移るわけだが,そのスケールと社運をかけたプレッシャーの中で苦闘するスタッフたちの姿が実によい。

ヒロインであるエスター役ハイヤ・ハラリートの気品に満ちた美しさがまたいい。メイキング中でさえ,女優ハイヤ・ハラリートではなくエスターその人の存在感を感じさせるところがすばらしいのである。

ついに驚愕の真実を知る

そして僕はついにその瞬間に遭遇した。メイキング中に仕掛けられていた地雷を踏んでしまったのだ。劇中では一度もその顔を明かさなかったイエス・キリスト役の男優がその素顔をさらしていたのである。

うわあああああああーーーーーーー!!!!!

そのときの僕の深い喪失感をどう表現したらいいのだろう。そこにはあまりにも平凡で冴えないただの不機嫌そうな男の顔があるばかり。違う,こんな男は僕の感動したイエス様ではない,何かの間違いだ,そうに決まっている……。

しかし時すでに遅し。覆水盆に返らず。ベン・ハーの巨大な感動にも比肩する失望と落胆はもはや僕の胸から消え去ることはなかった。あああ,見なきゃよかった。

やがて苦い感慨とともにLDプレーヤーのスイッチを切った僕はおまけ映像の光と影を思いながらベッドにもぐりこんだのだった。