神聖オードリー帝国の思い出にひたる

思い出にも序列あり,されど

よく言われるようにオードリー・ヘプバーンの日本での人気は別格だ。ボクシングのチャンピオンがランキングに含まれないのと同じで,序列のつけようがない高みにひとり美しくたたずんでいるのが彼女だ。日本人は民族の総意としてそれを認めているのである。

僕にとっても彼女は子供のころからの憧れだ。テレビの洋画劇場の記憶さえおぼろげな遠い日々から,その名は映画女優のシンボルであり,口にするだけで神聖なものを感じていた。観客というにはあまりにも未熟で幼い自分ではあったが,その名前に言霊の響きを感じていたように思う。

当時,彼女の映画のどれを見ていたかさえ覚えていないので,このような思い込みがいつどのようにして刷り込まれたのかはわからない。

だけど,その名前は特別なものだった。

遠い異国の映画女優に恋していたわけではない。洋画をばんばん見まくってその中からいちばんのお気に入りを決めたわけでもない。ただ,先験的にそう納得していただけである。理屈は……今となってはどうでもいいことだ。オードリー・ヘプバーンの名は最初から神聖不可侵のイメージ付きで僕の中に入り込んでいたのだ。

感涙のお宝映像

「ローマの休日」は彼女の代表作というだけでなく,映画史に残る名画のひとつである。昔,テレビ放送をビデオの前で待ち構えたこともあったし,LDが出たときも喜び勇んで買った。そして今ではDVDだ。公開50周年記念の修復版でうれしいサプルメント付き。日本人なら買う義務があるぞ。

ファン諸氏にとってはもはや人生の一部と言ってもいい本編は,音声,映像共に修復作業がなされ,それだけでも必携ものだが,収録されたドキュメンタリーなどの特典映像がまたうれしい。発売の数か月前からたびたび話題になりテレビでも取り上げられていたアレである。

この映画にまつわる数々のエピソードはそれぞれ伝説的なものばかりだが,特にオードリーのカメラテストの話は有名で,僕も今まで何度も読んだり聞いたりして想像をたくましくしていたものだ。それをこうして目にすることができるのだから長生きはするものである。オードリー・ヘプバーンというより「ローマの休日」の中のアン王女(というよりアーニャ)がそのまま受け答えしているようで,くたびれた中年男の僕もそこいらじゅうを駆けまわりたいほどの可憐さだ。

美しい。可愛い。可憐。キュートだ。気品がある……いや,若く美しいのは当然として,なんというか純度の高い稟性のようなものが感じられるのだが,それを今の僕のボキャブラリーで表現するのは困難だ。かつて存在した美しい日本語の形容詞をどっさり発掘してこなければ,ここに映った彼女を賛美するのは難しい。

思えばLD時代からずいぶんたくさんのサプルメントやお宝映像を目にしてきたが,本編以外で目頭が熱くなったのは初めてである。たとえそれが個人的な思い入れのせいであったとしてもありがたいものを拝ませてもろうたなあと思う。

20世紀最良の日々ありて

僕もファンの端くれとして彼女の写真集の1冊や2冊は持っているが,このDVDの特典映像には上記のように今まで見たことのないものも含まれていて,まことにありがたい。まさに値打ものだ。

予告編集の中で最初に収録されている"特報"もそのひとつで,ここには例のカメラテストの映像も一部使われている。しかも彼女がハサミを持って自分の髪で楽しそうに遊んでいる(最後にちょっとだけ切っちゃう)実に微笑ましくも言語道断なまでにかわいらしいカットが含まれている。男性諸氏なら,たはーっと意味不明のため息をついて口元がゆるんでいる自分に気がつくだろう。

この作品に限らず,当時のハリウッド映画は近代の最も平和で幸福な世界のイメージを内に持っている。現実のハリウッドはアカ狩りなどの愚かしい歴史も併せ持っていた時代だが,そういうところから生まれたこの映画の世界は20世紀最良の日々の記念写真のようである。汚したくない楽園の思い出だ。

だから,同じくサプルメントとして収められているスチル写真の数々も。泣けそうになるくらい幸福ないつかの時代をしのばせるギャラリーになっている。ああ,自分でBGMつけてみたいな,と思えるくらいに。

そのスチルの中にオードリーをグレゴリー・ペックが後ろから抱きしめる形で立っている写真があるのだが,これがもう絵に描いたような似合いのカップルの1枚って感じで,思わず「ほおおー」とつぶやいてしまう。あらゆる意味ですばらしいバランス!パブリシティ用ではあってもこれほど見事なカップルの姿ってのはめったにないと思ったな。

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製作から50年もたてば関係者の大半は既にこの世に亡く,伝説は深まるばかりだが,この映画が永遠の名作であることだけは変わらない。世界のどの王家王族の姫よりもこの映画のオードリーこそは真の王女の気品を体現している。そう素直に納得できてしまうほど映画の魔術が健在だった時代の,これは遺産である。サプルメントともども見尽くしておかねば。