「風が吹くとき」核のメルヘンに涙

お説教は嫌だけど

人々が今よりずっと素朴で健康的であった昔とは違って,今の人間は他からお説教されるのが大嫌いである。人類の自我は肥大しっぱなしで,とにかく個人から国家まで,他から何か説教や教訓めいたことを言われることがうっとうしい。人々はそんな匂いや気配にはあきれるほど敏感,いや,過敏になっている。是非はともあれ現代とはそんな時代だ。

だから,映画やドラマ,小説などでもメッセージ色の強い作品にはそれだけで反発する人が少なくない。登場人物や物語が十分魅力的に見えても,作者が教訓をたれているような気配を察すると,そのことがどうしても引っかかって楽しめないらしい。

その気持ちはわからないでもないが,お説教センサーばかりが全開というのでは観客や読者にとっても不幸である。本来"どきどきセンサー"やら"わくわくセンサー"やら,あるいは"うるうるセンサー"なんかも同時にオープンにしておくべきなのだが,そのあたりの調整はなかなか難しい。これはまあこちら側のキャリアというかスキルの問題だからね。

けれどやっぱりメッセージ色だけが強い作品というのは粋じゃない。少なくとも僕はそう思う。訴えたいことがあっても面白さの中にうまく包み込む,というのが一流の仕事だと思うのだがどうだろう。久しぶりに見た「風が吹くとき」はそんなことも考えさせてくれる印象深い作品だった。

反則でもいい

これは核戦争に巻き込まれたある老夫婦の,被爆前後の日常を描いた長編アニメーションである。西欧諸国の人々はどうも核兵器がもたらす悲惨さを実感できていないのでは,という印象が日本人にはある。けれど,これを見ると決してそんなことはないぞということがよくわかる。目をふさいでない人もちゃんといるのだ。

何と言っても印象的なのはその絵柄だ。素朴な老夫婦のキャラクターそのままの,メルヘンチックと言ってもいい画調,しかもディズニー調の流れるようなセルアニメではなく,アート系の短編アニメのように手作り感に満ちた様々な手法で描かれている。時に立体,時に実写などを交えながら,それでも全体としては素朴なタッチで「The Day After」をやっているのである。

もう,これが胸に迫ってね。反則だよ〜。

だって原作はレイモンド・ブリッグスなんだよ。「スノーマン」の人なんだよ。あのほのぼのキャラクターで放射能に蝕まれていく老夫婦の最後の日々が描かれているんだよ。これは辛い。実写映画で人間が演じたり劇画調のリアルなアニメーションで描かれるのよりずっとこたえる。

そんな辛さや苦さや悲哀を含みながらひとつひとつのシーンは淡々と,時にはユーモラスにさえ進んでいく。その抑え方が見事だと思うのだ。イギリス映画(86年作)ならではの節度みたいなものが感じられて「アメリカ映画じゃこうはいかんだろうなー」と妙な感慨を持ってしまった。

日本語版に敬服

僕の持っている古いLDは日本語版で,その日本語版監督は大島渚,主役の老夫婦は森繁久彌と加藤治子の二人が演じている。僕は普段,アニメの声は本職の声優さんにやらせるべき,と思っているのだがこのお二人に関しては文句なしだ。上手いという以上に朴訥とした老夫婦の長い歳月までが浮かんでくる。

ほとんど二人芝居といっていいお話なので,感情移入もこのベテラン俳優二人の語り口にかかっているのだが,これが実に見事なのだ。

特に加藤治子さんの声が耳に残る。最初は元気な,でも少しおっとりしたおばさん声だったのが,ラストシーンでは年齢を超越したような澄んだ美しい声に聞こえるからだ。命の火が燃え尽きる前のつかの間の透明感のようなものを感じさせる見事な芝居。うーん,ベテランの演技ってさすがだ。

天下の森繁も今から15年以上前の仕事なので,今ほどの老いは感じられず訥々としたセリフ回しが役にぴったり。先ほど声優うんぬんと書いてしまったが,そういえばこの人の声は昔からドラマや映画で印象的だったのだ,と思い出す。これはこの人でないとできない役なのかもしれない。

風が吹くとき

この映画を見ているとアニメーションの強みというものも感じることができる。例えば核爆発のシーンはCGやSFXを導入すればするほど派手に描けるが,絵柄としてはリアルになるだけだ。映像の進歩としては直線的である。

しかし,絵柄がリアルであろうとなかろうと,そんなことはたいして問題ではない。むしろ自由にデフォルメしたりタッチを変えたりして多彩なアプローチができるアニメーションの方こそインパクトは大きい。

それは映画中盤の爆風のシーン,つまり「風が吹く」シーンを見れば一目瞭然だ。視点を変え,スピードを変え,タッチを変え,更には壁に飾られた写真やそこに挟み込まれた二人の半生が伝えてくる感情まで交えて運命の風が描かれる。これはCG核爆発にはなかなか難しい業だと思うよ。古典的アニメーションの技法は(ウデさえあれば)最新技術に拮抗できるのだ。

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それにしても,このLDを買った当時もそれなりに感動したのだが,2004年の今あらためて見直すとその印象深さが段違いであることに驚く。世界情勢はずいぶん変わったし,核を取り巻く状況も違う。なのに,この話から受ける悲痛な印象は以前にもまして強烈だ。こちらが涙もろくなっただけなのか,それともあの当時の自分が鈍かったのか。

確かに核兵器の恐怖や悲惨さを訴えるメッセージもあるのだが,声高ではなく,物語の感動がまずここにはある。その上で,考えることは各自に委ねるこの節度こそが作品の志を表していると僕は思う。