「少女革命ウテナ」劇場版のパワーに瞠目

意味不明もまたよし

映画に限らず傑作・名作を表現する言葉にはいろいろある。ストーリーがとても面白かったとかキャラクターが魅力的だったとか,美術や音楽がすばらしかったとか……。小説やコミックにしてもファンの好みはさまざまだ。何をもって「よし」とするかは人それぞれである。ところが……

なにがなんだかわからないが,とにかくすごい!

というのがたまにある。いや,なんかすごいもん見ちゃったよ〜というやつだ。今この拙文を読んでいる方々にも同様の経験があると思う。純粋に衝撃を表すほかなくて,すごい,よかった,すばらしい,くらいしか言葉が見つからず,自分のボキャブラリーが急に貧弱になってしまう。そんな作品もまた存在するのである。

もちろん,観客や読者はバカではないから普通は作品としての結構を保てない下手な作家性だけのシロモノなどは評価してくれない。うまく言えないがとにかくすごかった,などという感想は,何かこう白熱したクリエイター魂が炸裂しているような作品にのみ捧げられる賛辞である。

僕にとって「少女革命ウテナ/アドゥレセンス黙示録」はまさにそんな作品だった。99年の劇場用長編アニメだが実際に見たのは昨年(2000年)のDVDリリースによってである。うひゃ〜なにこれ〜!?というインパクトがものすごく快感だった。昨年買ったDVDの中でも一,二を争う収穫だと喜んだものである。こういうのは映画館の環境で見たかったな。

話が見えないのもまたよし……としておこう

僕にとっても「とにかくインパクトがすごかった〜」でほとんど表現が尽きてしまうのだけど,実際のところ,いろいろ分析してみようという衝動はほとんどわいてこない。そういう作業が好きな人にはこたえられない様々な知的ガジェットが詰まった映画なのだが,この破天荒な世界を丸ごと楽しむ方が僕には刺激的だ。

そもそも物語のバックグラウンドや世界観など何の説明もなしにどんどん不可解な話が展開していくのだから,自分のキャパシティを頼りに付き合っていくしかない。テレビシリーズを見ていなかった人にはまず話が見えないだろうが,それでもなお見る者を引きずり込む異様な力が充満している。天晴れである。

いったいこの学園は何なのだとか,どうして主人公は車に変身!するのかとか,なんで胸から剣が出てくるんだとか……分析や論考はいくらでもあり得るだろうが,そんなものは後回しでよい。そういうもんだとひとまず受け入れてしまえる人にはその先にある夢幻的なクライマックスと幕切れが報いてくれるだろう。

テンションの高いイメージの王国がここにはある。

それにしても,このきわめて前衛的で,かつ挑戦的な,よくこんなもの作らせたなあという感嘆に満ちた作品を商業路線に乗っけて公開した制作側の「やる気」もたいしたもんだ。昔だったら上層部は絶対二の足を踏むよ,これ。

孤高もまたよし

こういった破天荒でパワーに満ちた作品をどう表現したらよいのか悩むところだが,この世界観や型破りな展開からしてSFでいうところのワイド・スクリーン・バロックのイメージに近いのではないだろうか。ワイド・スクリーン・バロックの系譜というのは評者によってまちまちなのだが,僕はこの映画を日本映画史上唯一のワイド・スクリーン・バロックの華麗なる精華と賛美したい。

もうひとつ。主人公の天上ウテナにしろ姫宮アンシーにしろ,感情移入の対象というより神の劇場で演じるために遣わされたキャラクターという感じだし,舞台劇風のきわめて個性的で印象深い音楽(すんばらしい!)のせいもあってこの映画は他のどれにも似ていない。

かくも豊かなイメージを持ちながら全く亜流が存在しないのである。

二番煎じを許さない傑出した個性。これこそこの作品の驚くべきアドバンテージではなかろうか。夢の記憶のような世界をこうした形で見事に現像して見せた幾原邦彦監督の手腕にも感服するが,この作品が示したまれに見る個性はこれから先もっともっと評価されるべきではないかと思う。

いろいろなジャンルに「ワン・アンド・オンリー」的な作品があるが,この作品もまた追随者をしてなまなかな覚悟では追いつけない存在になるに違いない。たとえ予算や技術をいくら注ぎ込もうとも,そのスピリットが同じ高みに届かぬ限り,この映画を過去の物にすることはできない。

世界を革命する力を求めるヒロインたちの物語は,邦画とアニメーションの歴史にも楔を打ち込む孤高の存在となった。