「惑星ソラリス」の陽のもとに

ソラリスの陽のもとに

もちろん「スターウォーズ」は面白い。大好きである。SF映画のビジュアルを変えてしまった圧倒的なパワーがみなぎっているし,何よりもエンタテインメントに徹したハリウッドならではの精神が横溢している。これはこれであっぱれとしか言いようがなく,観客は「楽しませてもらいま〜す」モードでその世界に突入すればよい。

しかしSF映画にはこれとは対極のすばらしさもある。思索型哲学型の作品もまた(数こそ多くないが)歴然と存在し,この分野の奥深さを教えてくれる。その代表格が西側では「2001年」東側では「惑星ソラリス」である。

西側東側などと言ってもピンとこない人がいるかもしれないが,ソラリスは今はなき大国ソ連の生み出した傑作映画なのだ。僕の初期版LDのジャケットにはちゃんとソビエト映画とうたってある。SFファンにはレムの原作小説の邦題「ソラリスの陽のもとに」の方がしっくりくるんだけどまあよしとしよう。

巨匠タッグなのだ

人間の記憶は実にあいまいでいいかげんなもので,この映画,初めて見たのが劇場だったかLDだったかどうしても思い出せない。名画座で「戦艦ポチョムキン」と一緒に見たような気もするし,いやあのときはソラリスじゃなくて「哀しみのベラドンナ」だったような気がする……てな感じでどうもはっきりしない。

ただストーリーの細部は忘れても"遠い"とか"寂しい"とかいったイメージが深く根付いてしまい,永く忘れられない映画になっている。ドンパチもアクションもないが,静かに進行する異常事態。登場人物たちの緊張感とストレスが高まっていくのがひしひしと伝わってくる。目が離せない。

原作がレム御大で監督がタルコフスキーとくればまさに無敵のタッグだが,僕はタルコフスキー監督の作品をそんなに見ているわけではないからこの作品にどれだけ彼の持ち味が出ているのかは正直言ってわからない。しかし165分の長尺を全く感じさせない力が張りつめていることだけは断言できる。

人形から人間へ

物語は実に静かなものだ。異星の海を調査する主人公たち。その海から送り込まれてきたのは彼らの記憶にある死者たちである。意志を持った一個の生命体であるらしいソラリスの海が彼らの記憶の中から作り出した人間モドキだ。しかし追憶の中に眠る愛する人と再会した人間たちの困惑,緊張,畏れ,哀しみといった感情は,当人たちにとっても手に負えない代物であった……。

主人公クリスのもとに現れた"客"は亡き妻ハリーの姿をしていた。演じているのはナタリア・ボンダルチュクという女優さんだが,いやもうこのハリー役がすばらしいのである。知的な美貌もいいが,人にあらざるものが人へと変わっていくさまを見事に演じきった実力もたいしたものだ。

"客"はソラリスの海が作り出したものだが,最初は服も脱がせられない。単に姿をコピーしただけだからだ。しかし記憶喪失の人形のようだった彼女にもクリスと接することで徐々に自分自身に対する疑問が芽生えてくる。

人間の魂のようなものが彼女の内面に現像されていくのである。

異星の演劇空間

このハリーが人間らしさを獲得していく様子がこの映画の要でもあるのだが,静かな会話中心の展開でありながら引き込まれてしまって目が離せない。ゆっくりとではあっても物語がある決定的な瞬間へ向けて進みつつあることが伝わってくるからだ。

一種演劇的なタッチとでもいうか,この緊張感がいいのである。たまたまBSでやっているのを途中から見始めてついに最後まで見てしまったこともあるくらいだ。しかしこれは異様な世界で異常事態に直面している人間たちの物語である。インパクトのある出来事も当然登場する。

たとえばハリーがクリスを探してやみくもにドアをこじ開けようとするシーン。人間らしい力の加減なんてまだ知らない彼女は,自分の体が大ケガをしても怪力をふるってしまう。そのケガもすぐに治る,というより消えてしまうのだが。

彼女はそんな自分に困惑し,悩み,愛を求め,そして自殺さえ図るのだ。

だが,彼女には死ぬことができない。生き返ってしまうのである。この蘇生するシーンが異様に迫力があって印象に残っている。この女優さんの演技力すごいよなあと素直に感動してしまう名場面だ。

ハリウッドもいいけど

最近のSFXの進化はすさまじくてどんな凄いビジュアルでも作り出せるようになった。しかし観客としてはイメージを作り手任せにしてしまうだけじゃちょっとさびしい。

このソラリスのように,想像力を刺激し文学的イメージを提示する映画もまた健在であってほしいのである。テクノロジーがつまったハリウッドの豪華な世界とは別種の快感と興奮をもたらしてくれるからだ。対照的だが,僕は欲張りなのでその両方とも楽しみたいと思っている。

手っ取り早く話を進めないとイライラしてしまうという人も,一度は立ち止まってこの思索SFの傑作に遭遇してほしいものである。静かであること,ゆっくりであること,地味であること,それらは決して映画の楽しみにとってマイナスではないことを実感できるだろう。

イマジネーションの向こうにある真実や認識に至る大人のためのSF映画。時をおいて見るたびにその世界に耽溺してしまうようなこの映画は,やはり希有な1本である。