「パンダコパンダ」なごみ系の実力に満足

昔も今も一流は一流

まだ宮崎駿や高畑勲の名も知らず,映画ファンでさえなかった遠い昔,新聞か何かで「パンダコパンダ」のタイトルを見たような気がする。もうおぼろな記憶で,それこそ霧の彼方という感じだが,日中国交回復のシンボル,上野のパンダのフィーバーぶりだけはよく覚えている。

30年前といえばひと昔どころではない。当時の記憶をかき集めてもA4のレポート用紙1枚で足りてしまうんじゃないかというくらいだ。

そんな時代に(たぶん)パンダブームを当て込んで作られた「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨ふりサーカス」の2本の劇場用アニメーションについて,当然僕にはリアルタイムの記憶はない。出会ったのはそれから15年以上を経てLDでリリースされてからである。88年ころだったろうか。カリオストロやコナン,ナウシカやラピュタで大ファンになった監督の昔の作品という興味で買った人が多かったと思う。僕もそう。

そしてみんなが驚いたのではないだろうか。

知ってる人には「何を今さら」なことだったろうが,僕のような"その他大勢"組のファンにとっては,こんな名作が埋もれていたなんてもうびっくり。宮崎駿や高畑勲といった人たちは昔からホントに立派な仕事をしてたんだなあ,とあらためて感じ入ったものである。

原案・脚本/宮崎駿,演出/高畑勲,作画監督/大塚康生&小田部羊一と並んだクレジットのぜいたくなこと!今ならそれがよくわかる。この顔ぶれで面白くないはずがないよね。

ルーツはかくも豊かに

お祖母ちゃんを法事で長崎に送り出してひとり暮らしのミミ子ちゃんの家に突然パンダの親子がやってくる。喜んだミミ子ちゃんとパンダ親子はその日から家族として暮らし始める……その中に実に豊穣な"お話"の心地よさが詰まっているのだ。

見た方ならおわかりのとおり,これは後のジブリの名作群(特にトトロ)のルーツ的作品である。ここから更にじっくり時間をかけて豊かな実りとしてのトトロやその他の作品が育っていったのだろう,と誰もが納得するに違いない。

パパンダ(お父さんパンダね)のぬぼーっとしたキャラクターは言うまでもなくトトロの原型だけど,大トトロの胸に小トトロやメイたちがぴょんとしがみつくあのおなじみの仕草もここに既に描かれている。うれしいときにみんなで大きく口を開けて「うわおー」っと叫ぶのは,そうか,こんな頃から宮崎アニメのお約束だったのだなということもわかるぞ。

ルーツといえば「雨ふりサーカス」の後半,大雨で洪水になる。一夜明けると森も町も半ば水没しているのだが,ここからの展開が実にもうすばらしいのひと言。ミミ子ちゃんたちはベッドをボート代わりにして水面を渡っていくのだが,ここで描かれた洪水は荒れ狂う泥水ではなく,空気のような透明度の静かな水で,その上をすべっていくボートはまるで空中に浮かんでいるように見える。

それを水面下から描いているイメージのすばらしさ!その立体的な浮遊感はまぎれもなく宮崎アニメ独特のあの"飛ぶ"快感そのものなのである。

パパンダは「すてきな洪水」とのたまったが,まさにアニメーションの持つファンタジーが見事に現れた名場面だと思う。

わたし,ドキドキしちゃう

そして,元気な女の子,ミミ子ちゃんのすべての仕草に注目だ。彼女は完全に自活していてたいへんな働き者である。働くことをいとわず家事を楽しんでいる。しかもベテランのハウスキーパーのごとく手際がよくて,ちょっとお行儀の悪いやり方までもが微笑ましい。

パパは会社へ行くものであり,帽子をかぶるものであり,部屋の中では新聞を読みパイプをくわえるものであり,そして……彼女を抱っこしてくれるものである。そういう父親像はちゃんと彼女の中にあり,帽子やパイプが家に置いてあるところをみると,実はけっこう事情のある家庭なのかもしれない。うれしいと「わたし,ドキドキしちゃう」と言って逆立ちする彼女にも,もしかすると両親のいない孤独はあるのかもしれないが,映画ではそういったものは彼女に影を落とすことはない。とりあえず大人の文法はしまっておくのが賢い接し方なのだろう。

たとえラピュタの海賊ドーラ一家に混じっても元気にやっていけそうな可愛らしいたくましさがミミ子ちゃんの最大の魅力であり,見ているこちら側の喜びでもあるのだ。

たぶん宮崎駿の女性観がストレートに出ているのだろうが,およそ30年後に登場する千尋のモタモタぶりを思うと……面白いなあ。

パパは会社へ行くものです

パパンダ親子は実は動物園から逃げ出してきたのであり,当然のこと,動物園側は彼らを"回収"したい。パパンダ親子との家族生活はミミ子ちゃんにとってはある意味ファンタジーであるが,そこへ現実がやってくるわけだ。

また,ミミ子ちゃんは家族となったパパンダ,すなわち父親にお弁当を渡して会社へ出勤するようにと言うが当然パパンダは困惑する。ここでミミ子ちゃんは「そうか,今日は会社はお休みだったんだわ」と場をそらすことで夢の家族ごっこのほころびを回避したように見える。聡い少女なので父親の象徴と父親とは違うのだとわかっていたのかもしれない。

なんてこと書いているのがそもそも無粋なオトナの見方なのだが,「パンダコパンダ」のラストにおいて,作者たちは更なるファンタジーの強さでそんなたわごとを打ち消してくれるのである。いやーいいねえ,この結末。

パパは会社へ行くもの……パパンダは毎日動物園へ通勤する,という見事な決着とそこへ流れる主題歌のメロディ。なんて上手い締めくくりだろうね。動物園では人気者パンダとして"仕事"をし,退社時間には帰りのあいさつ,タイムカードを押し,満員電車に乗り込み帰宅するパパンダ。それを自然に受け入れている町の人々。おとぎ話だけど,実に健やかな想像力の勝利という感じがする。

子供たちへ向けた作品には祝福された世界を見せてくれる,その真摯な仕事が今も古びない暖かさを放っていると僕は思う。