「プリズナーNo.6」にカルトの魂を見た

かいま見た大人の世界

カルトな名作などという言い方がいつごろから使われるようになったかわからないが,10年前には定着していた。20年前にも使われていたような気がする。30年前となると記憶が定かではないが,少なくとも日本ではまだなじみの薄い表現だったと思う。

テレビシリーズ「プリズナーNo.6」は僕にとってそのカルト作という形容がもっともふさわしい作品である。

あまりにも実験的,あまりにも不可解なその世界は今では伝説的でさえあるが,こんな難解な作品を買い付けてオンエアしていたNHKの英断には驚く。当時(なんと69年だ)まだ子どもだった僕は,毎週日曜夜のこの番組をリアルタイムで見ている。なぜこんな大人向けのテレビドラマを見続けていたのか不思議だが,この作品の異様な雰囲気に魅かれていたのかもしれない。

当時,日曜夜10時あるいは11時という時刻は子どもにとってたいへんな深夜であり,消灯した部屋で布団をかぶって極力小さな音量で見る不条理劇は禁断の世界に近かった。むろん,この話題を共有できるクラスメートなどいなかった。

思えばこの時すでに道を踏み外していたのかなあ,とも思うがまあそれはまた別の話。

伝説は色あせず

今,第1話から見直しているところだが,熟考を要するミステリのような面白さに感心してしまう。実際,今どきのほとんど思考力を必要としないテレビ界では考えられないほど歯ごたえのあるシリーズであり,一部の先鋭的なファンたちが熱狂したのもよくわかる。

辞表をたたきつけて退職した情報部員(主人公)は,謎の機関に拉致され,どことも知れぬ場所に作られた「村」に連れてこられる。そこではすべての住人が番号で呼ばれ,奇妙なコミュニティを作っている。No.6を与えられた主人公は村の管理者No.2から「情報」を提供するよう強要されるのだが……。

毎回このパターンで,村から脱出を試みるNo.6とあの手この手で彼から「情報」を探り出そうとするNo.2たちの頭脳戦,心理戦が展開される。わずかな暗示を除いて「村」を管理している組織などいっさい説明されないので不条理感にあふれている。ファンにはそこがまたたまらなく快感なのだが,このへんは実際に見てもらうしかないだろう。

それにしても本放送から30年余り過ぎているわけだが,その面白さは全然色あせていない。舞台となる「村」は非常に明確な,そして独特のデザインで設計されている(フォントまで!)ので古びないのである。むしろこちらが大人になってキャリアを積んだ分,ディテイルにいたるまで楽しむことができるようになった。スタッフたちのとんがりぶりに拍手したいくらいだ。

オレンジ警報!

さて,このドラマにはいろいろなSF的小道具が登場するが,最も有名かつ印象的なのは村の警備システムとして登場する大きな白い球体だろう。ローヴァーという名前があることは後に知ったことだが,このでかい風船のような球体は,村から脱走しようとする人間,あるいは立入禁止区域に入ろうとする者に襲いかかる。

これは実にシュールで印象的な存在だった。

村の隅々を監視するコントロールセンターでひとたび「オレンジ警報」が発令されると海中から大きなあぶくのように出現し,目標をとらえる。怪物の叫び声のような音を発して接近してくるが,ある種の「パス」を持っている人間には危害を加えない。サイズも大小があるようで,大1小2というセットで動くこともある。

ぷよぷよと震えながら意志を持つ生き物のようにふるまうところが魅力?で,昔見ていたときは毎回こいつの登場が楽しみだった。このローヴァーを白い大きな風船にしたのは主演のパトリック・マッグーハン自身のアイデアだそうだが,すばらしいイメージだと思う。プリズナーといえば真っ先に思い浮かぶ「大スター」である。

声もよし,されど

僕は以前発売されたLDボックス版を見ているのだが,当時の吹き替えキャストは今となっては非常に豪華な顔ぶれだ。なんといってもNo.6役の小山田宗徳氏が印象的だが,それにしてもベテランの声優さんたちが何十年も声を大切に維持しているのには感心する。見てると今とほとんど変わらないんだもんなあ。

ところで収録されている吹き替え音声も当時のものだから,残念ながら所々カットされている。用語の規制に関わる部分だと思うが,こればかりは見ていてがっかりだ。否応なくぶつけられる放送と違ってパッケージメディアは「あえてそれを購入する」商品なんだから,過ぎた言葉狩りは興ざめもいいところだ。

……帰宅すると自分の部屋で家事をやっている見知らぬ女。No.6は尋ねる。何をしている?女は何か答えるのだが,なぜかここで無音になってしまうのだ。はあ〜またか,とげんなりしながら音声を原語に切り替えてもう一度聞いてみると

I'm your personal maid

と言っているのがわかる。なるほど,当時の日本語からしてなんと言っていたかは想像がつく。やれやれだ。見ているこちらも実は数々のタブーに縛られたプリズナー(囚人)でしかないのか。ため息である。

自由を求めるNo.6の戦いを描いた作品なのに,こんな不自由を抱え込まねばならないのは皮肉であり,あまり笑えない現実だ。そんな状況で見るこの作品には二重の意味で反逆と自由への渇望が渦巻いている気がする。10年後,20年後にも見てみたい作品だ。