「学園戦記ムリョウ」前向きに行こう!

リピーターへの誘い(いざない)

アニメに限らず,およそ傑作と呼ばれる作品にはふたつのタイプがある。すばらしい出来だけれども一度きりの体験として心にとどめておきたい作品と,何度でも繰り返し楽しみたい作品だ。

前者の場合,大きな感動とともに切なさや悲しみや,時に苦しさまでがあまりに生々しく伝わってくるため,何度も体験するのはちょっとつらい,好きであればあるほど大切に封印しておきたい,そんな気分になる。一期一会型とでも言っておこうか。対して後者は,楽しさやわくわくする気持ち,喜びや笑顔といった魅力に満ちていて,何度でも遊びに行きたいテーマパークのような面白さがある。すなわちリピート型だ。

前者の記憶は思い出の中でどんどん美化されていくが,後者のそれは繰り返し新鮮なものへと書き替えられる。もちろんこれは大雑把な印象で,実際にはそうした様々な魅力が混じり合って傑作は生まれてくる。

どちらのタイプも僕は大事にしたいと思うが,心はずむ楽しさという点でリピート型の存在は大切だと感じる。

しかし,実際問題として視聴者(観客)をリピーターにさせるのは作り手にとっても至難の業である。それが容易にできないから皆苦労しているわけで,「未来少年コナン」のような名作はおいそれとは生まれない。どんな魅力が人々を惹きつけるのか,作り手の試行錯誤は常に続いている。

だがここにすばらしい実例が誕生した。

テレビアニメ「学園戦記ムリョウ」は様々な魅力と面白さの集合体だ。分析好きの人にも寝転がって楽しみたい人にも毎回新たな発見と心地よいひとときを与えてくれる豊かな世界。リピーターの喜びが確かにここにはある。

ホームドラマと宇宙戦争

ムリョウの舞台となるのは2070年に設定された湘南の一地方都市である。主人公の中学生たちのきわめて日常的な生活と宇宙規模の事件がまるでホームドラマのような,ある意味のほほんとした雰囲気の中で展開していく。

驚くのは中学生の日常と銀河連邦の壮大な歴史,あるいは運動会や文化祭のドタバタと侵略宇宙人とのシリアスな闘争といったスケールも性質もまるっきり違う要素がシームレスにつながって違和感のないことだ。そんな離れ業をそれと意識させずに楽しませてくれる。これはご立派。

何より,ホームドラマか学園ドラマかといったムリョウ世界の日常がとても気持ちいい。毎週のように登場する食事のシーンはまさにホームドラマの伝統そのものだし,その度に暖かさや和やかさ,豊かさといったものがほんわかと伝わってくる。料理がちゃんと美味しそうに見えるアニメは実はきわめて稀なのだぞ。

学校のシーンもそうだ。主人公たちが通うのはかつてならあり得たかもしれない理想の学園である。生徒たちは何かことが起こればとにかく学校へ行く。行ってみんなの顔を見て,ここが自分たちの場所だと安心する。学校が好きなのだ。2070年のこの「自主と自立の御統中学」に郷愁を覚える人は少なくないだろう。

そして登場人物のほとんどは(中学生でさえ)精神的にキャパが広く,大人で,幼稚な愚行から免れている。心の歪んだ悪のキャラクターは登場しない。穏やかすぎる,善人すぎると言うのは簡単だが,彼らの体験する日常のエピソードのひとつひとつがなんと生き生きと楽しそうに伝わってくることか。

僕たちはみな,本当はあんなふうに生きたいのだ。だから,何度見てもその心地よさは格別なのである。

いじめ,犯罪,欲望,エゴといったある意味リアルでネガティブな感情を描かなくても大切なことはちゃんと伝わる。性格破綻者が憎しみをぶつけ合うような刺激的な展開に持ち込むより,はるかに強く,そして優しく訴えかけることができるのである。

やるときはやるぜ

しかしムリョウの面白さはそんな日常の心地よさだけではない。その背景にあって物語が進むにつれ徐々に大きな展開となっていく銀河連邦と地球の関わり,あるいは侵略者との苛烈な闘争や一万年に及ぶ大いなる秘密といったものが,胸躍る展開で描かれる。そちらもまたムリョウ世界の顔なのだ。壮大なスケールのSFとしての顔が少しずつ明かされていく面白さである。

緊迫したシーンのスピーディーでわくわくする描写には全くムダやたるみがなく,たたみかける勢いに快感すら覚える。

日本アニメの独壇場でもあるケレン味たっぷりの戦闘シーンも,穏やかな日常のドラマとの対比が実に鮮やかで印象強烈だ。

しかもSFとしての飛躍がもたらす「背中がゾクゾクするような感じ」,センス・オブ・ワンダーが強烈に感じられる見事な演出!特に物語終盤,第25話の怒濤の展開には「おおおー」と思わず手に汗握ったほどである。

こころざし高く

その壮大な展開が最終的には人々の日常のドラマへと帰還し,優しく幕を閉じるラストは何よりも幸福感に満ちている。日常と非日常,ムリョウ世界のふたつの顔は初めから交錯してはいたのだが,それをこうして心豊かな大団円に持ち込んだ作り手の志は高い。

現在,日本アニメ界の若い作り手たちは自分たちがかつて慣れ親しんだものの縮小再生産に陥る罠から逃れようと苦しんでいる。しかしムリョウの自由自在な演出にはその翳りは微塵もない。先人の遺産も消化し尽くして自分の言葉,自分の表現として語る監督の自信のようなものが頼もしい。

この作品はすごいCGや最新の映像技術で描かれているわけではないし,絵柄はむしろクラシックだ。けれどそれでいい。そこに描かれた世界やキャラクターや物語があまりにも心惹かれるものなので,すぐに古びるような表面的な意匠に頼る必要がないのだ。

10年先,20年先にも楽しめるだけでなく,逆に20年前に持っていってもすんなり受け入れられる……そんな,過去でも未来でも通用する時代を超えた魅力がこの作品には満ちている。

それはテレビアニメの新たなリファレンスとして語られるべきものではないだろうか。