「マネキン」後ろ指さされてもこれがいい

脆弱なる男たちへ

ひところ,願望充足小説なんていわれる物語が出版界にはあふれていた。今でもそうかもしれない。気は優しいがいまひとつツキが悪くてパッとしない日々を送る青年(あるいは少年)のもとに,ある日突然,ほとんどあり得ないような都合のいい理由で類い希なる美女もしくは美少女が転がり込んでくる。彼女はなぜか彼のことが気に入り,いろんなドタバタを繰り返しつつハッピーな日々が訪れるという,まさに気弱で野生なき現代の男たちの願望そのままのストーリーである。

男子たるものそのような脆弱な精神でどうする?もっと覇気を持て,好きな女がいるなら果敢に攻略せい(口説けもしくは押し倒せという意味らしい)という古手の先輩諸氏の叱咤が聞こえてきそうである。

そうだよな。確かにこんな話にうつつを抜かしていてはいかんよな,と僕も思う。思うんだが,それでも時にやたら居心地のよい作品にぶつかってしまって「ああ,こんなもの気持ちよいと思ってはいかんのだ〜」と思いつつどっぷりとハマってしまう。現代の男が弱々しくなったという証であろうか。ああ情けない,でも好き……てな具合。

願望充足映画なのだ

事情は映画でも同じ。87年の作品「マネキン」なんてまさに願望充足映画そのものである。しかし,テレビの洋画劇場でも埋め草みたいに使われるこのB級ご都合主義的ファンタジーが僕にはなぜか愛しい。正直言うと大好きである。

主人公の青年の前でだけ生身の体に変わる美女のマネキンだもんなあ。これ以上男にとって都合のよいファンタジーがあるだろうか。男に対してますますシビアな見方をするようになった今どきの女性たちからは白い目で見られそうな設定である。しかしこの映画のあっぱれなところは,そのあまりにも男(の子)の願望に媚びたような話をおめずおくせず描ききった点にある。

開き直ったというか何というか,観客が楽しんでくれれば文句あるまいというその態度が清々しい。名もなき多くのフィルムたちの中に埋もれて消えていくタイプの作品だろうけどホントに気持ちよかったんだから気取った論評なんかとてもできない。実際,面白かったし,楽しかった。

職人のあっぱれな仕事に満足

何と言っても,観客を喜ばせるための工夫とテクニックで物語をテンポよく進めていく手際が快感だった。昔から使われてきた常套的な演出方だろうとは思う。が,それをきちんと用いる技量とセンスがあればこれだけのウェルメイドな作品に仕立て上げることができるのだ。90分余りという長さも気軽な娯楽作品として最適。

後にパート2も作られたと記憶しているが,僕にはこの第1作だけで十分である。キム・キャトラル扮するヒロインもチャーミングで好みだったし,主役のアンドリュー・マッカーシーも人は良いけど芽が出ない青年という感じがよく出ていた。

実のところ登場人物はけっこう類型的なキャラクターばかりだと思うが,そもそもそんなことを問題にすべき世界ではないのである。彼らとともに笑ったりあわてたりハラハラドキドキしたのだからスタッフの勝利と言っていいはずだ。

映画だろうが小説だろうが楽しいひとときを過ごしたいというニーズは大切であって,その気持ちを心地よく受け止めてくれる作品は批評家が何と言おうと観客からは愛され支持される。この「マネキン」は心に長くとどまるようなパワーや感動とは無縁だが,見た人の口元が優しくなる愛すべき佳品だと思う。

願望充足映画とバカにするのは愚かな気取りに過ぎない。日々現実の厳しさに直面していようとも,90分のおとぎ話を楽しめる余裕は捨てたくないな。