「リバティ・バランスを射った男」の劇的人生

よみがえる思い出

最近はっきりわかったことだが,僕がDVDなどで古い映画を買い求めるときの基準は昔のテレビ洋画劇場の記憶にあるらしい。当時の記憶はもうずいぶん薄れていて,映画ファンとしては幼年期の記憶みたいなものなんだが,それでもいまだにタイトルを目にする度に心の隅っこでチカチカとまたたくものがある。

おぼろげだけど,DVDが出ると聞けばこれが意外と強い衝動になって買ってしまうのだ。思い出は強し,されど儚し……というところか。

62年の映画「リバティ・バランスを射った男」はやはり日曜洋画劇場で見たときの記憶を引きずっていて,どうしても買わずにはいられなかった作品だ。ジョン・フォード監督,主演がジョン・ウェインとジェームス・スチュアートとくれば,バリバリの西部劇を連想するだろうが,痛快なガン・アクションというわけではない。けっこう渋い映画なのだ。にもかかわらず,当時の少年NOBLEはなぜかこの作品を忘れ難く感じたらしい。

「十二人の怒れる男」などもそうだが,しっかり演出されたドラマならまだ観客として未熟なガキの魂にも感動が伝わる。きっとそういうことなのだろう。

正統派はたくましい

西部劇のいろいろな道具立てを記号と割り切って華々しいアクション映画に仕立てるのもいい。マカロニ・ウエスタンのように異端に走るのもいいだろう。しかし,この映画のような正統派の作り手たちの仕事を見せられると,その骨太の迫力にうなってしまう。これこそ本道を行くものの安心感とでも言おうか。ジャンルの中心に巨匠がどーんと構えているってのはいいなと思う。

何よりこの"本物感"がいい。時代劇や西部劇には理屈ではない微妙な空気感,肌触りのようなもの,あるいはジャンル特有のフェロモンみたいなものが不可欠で,これがあるのとないのとでは大違い。観客は理屈抜きに「あ,これはニセモノだ」とか「お,これは本物の香りがするぞ」といったことを感じてしまうのだ。

突っ込んで問いつめれば何をもって本物だと感じるのか,なんて基準はあいまいなのだろうが,言ってみればこれは観客としての集合的無意識のようなものだ。ささやいてくるものがある……のである。

それにしてもこの西部劇世界の雰囲気は見事だ。60年代といえばすでにカラフルでモダンな作品はいくらでも登場していた時代である。けれどこの映画のドラマやキャラクター,役者たちの立居振舞やモノクロのえも言われぬ陰影など,どれをとっても制作年度とか配給会社といった外部の事情とは無縁の,確固とした存在感を漂わせている。

いつの作品か,なんてどうでもいい。歳月が流れてもたくましい作品であり続けているのである。

この渋さを見よ

まだ開拓時代の蛮風が残る西部の町。暴力に嘲弄される若き弁護士ランス(ジェームス・スチュアート)と旧時代の強さを持った大人のガンマン,トム(ジョン・ウェイン)が無法者リバティ・バランスをはさんでくりひろげる人生ドラマ……そんな感じの物語なのだが,これはホントに渋くて見応えあるよ。

エピローグから始まって主人公の回想が語られる,という構成なんだが,ふたりの主人公の対比がそのまま様々な価値観や社会や文化といったものの対比としても描かれているのだ。

理想や教養はあっても暴力には対処できない若造ランスと,正義感とそれを貫く力を持っているが旧時代的ヒーローのトム。どちらも正義なのだが,言論や社会意識の高まりで新時代を求める男と,理不尽な暴力は力で排除するという旧時代の強さを尊重する男。理想家と現実家。この新旧の対比が明瞭で,そこにリバティ・バランスという悪漢が価値観を試す者,揺るがす者,挑戦する者として登場することになる。

時代の流れは若いランスに未来を与えるが,その陰でトムの孤独な働きと援助があった,という展開がまことに西部劇の美学でよいねー。ここでのジョン・ウェインは日本で言えば高倉健の役どころで,自分の不利益をあえて甘受しても自らの美意識や行動規範を貫くという古典的なかっこよさがある。損得より己の掟。ジョン・ウェインはその体現者なのだ。

モラルハザードの現代においてはとうに死滅した美学だが,僕の中にはそれを心地よく感じる気分が強く残っている。自分もまた古くなったということなのかもしれないが。

名曲もあるのだ

ラスト,映画は主人公の回想から再び今に回帰し,彼が小さな決心を口にして終わる。人生の大きな輪がぐるっと回ってひとまず誰の上にもエピローグが訪れるという感じの幕引きだ。昔の映画だからエンドマークの後はあっさり終わるけど,ここで"あの曲"が流れてもいいかな,とちょっとだけ思ったことも書いておこう。

あの曲というのはバート・バカラック作曲の「リバティ・バランスを射った男」,そう,この映画と同じタイトルの歌である。僕はずいぶん昔にFMのバカラック特集でこの曲を聞いた。ジーン・ピットニーの歌うウエスタン調の(ウエスタンなんだが)とっても印象的な歌曲である。映画本編よりぐっとモダンな感じでたぶん日本人好みのメロディーの名曲だ。

映画よりこの曲との遭遇の方が早かったので,後にテレビでこの映画がオンエアされると知ったとき,てっきり「ああ,なるほどこの曲は映画のテーマソングだったのか」と思ったのだが,違っていた。映画ではこの曲は流れなかったのである。しかも映画の音楽担当はバート・バカラックではなかった。

この映画と歌の関係はずっと気になっていたのだが,今インターネットでちょこちょこと検索しても実ははっきりしない。主題歌だと書かれているページもあれば無関係と書かれているところもある。また,映画を元にして歌が書かれたという記述もあった。

けれど,今回DVDのオマケで当時の予告編を見てちょっと得心した。予告編の最後にこんなクレジットが出てくるのだ。

HEAR THE LEGEND COME ALIVE WITH THE NEW HIT SONG
"THE MAN WHO SHOT LIBERTY VALANCE"

つまりこれは今で言うところのイメージソング,あるいはタイアップソングという関係ではないかな。映画本編には登場しないけど,宣伝には使われるという形の曲だ。なるほどねえと思う。実は最近バカラックのベストアルバムで久しぶりにこの曲を聞いてたいへん喜んでいるところなのだ。

ともあれ,巨匠の作品はさすがだなあと誰にも納得がいく西部劇の名作である。たぶん当時のこの顔ぶれでしか実現できない世界だろう。数十年来のもやもやがクリアになってうれしい一枚であった。