「ネバー・クライ・ウルフ」生きる証は荒野に

いや歳をとるのも悪くない

実に久方ぶりに「ネバー・クライ・ウルフ」を見た。LDの発売時以来だから10数年ぶり以上になるはずだ。谷口ジローの「ブランカ」「神の犬」を立て続けに読んで無性にオオカミの姿が見たくなったせいかもしれない。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(ディズニーにはいったいいくつ会社があるんだ?)第1回作品,1983年作だ。

北米カリブー激減の原因は果たしてオオカミたちにあるのか。カナダ北部からアラスカにかけて広がるツンドラ地帯を舞台に,オオカミと1人の生物学者の出会いと共感を描いた秀作である。

とにかく久々に見て驚いた。元々地味な映画だしハリウッド的見せ場なんてものはない。ストーリーはろくに覚えていなかったので初見に等しかったのだが,それにしても実に面白かったのである。こんなに美しく気高い映画だったとは!以前見たときの自分はいったい何を考えていたのだろうと嘆かわしくなってしまった。きっと目が節穴だったに違いない。

自分もやっとこの映画の美しさが感じ取れるようになったのか。だとしたら歳をとるのも悪くない。

人間の星にあらず

なんといっても印象的なのは大自然の透徹した美と存在感である。何度も言うが美しいのである。甘くゆるんだところのない厳しさ,それゆえのシャープで解像度の高い(画質のことではない)自然の姿が印象的だ。

雪の山々,氷原,森林とわずかにのぞいた岩肌,中天にかかる大きな月,しなやかに軽々と走るオオカミ……もはやこれだけで風景が完結しているのである。これこそこの星の本来の姿ではないのか。ここでは人の存在はあまりにも異質であり,もしかするとこの世界には人間など余計なものなのではないかとさえ思えてくるのだ。

とにかくカメラが抜群に冴えている。この大自然の風景がまぎれもなく神々の創造物であることを感じさせてくれる映像である。主人公である生物学者やオオカミたちのドラマを静かに見ている何か巨大な,精霊のごとき視点がここにはある。編集のうまさか撮影のセンスか,そういった物言わぬ大いなる意志のごときものの気配が確かに透けて見える気がするのである。

美しい自然を描いた映画はいくつもあるだろうが,スピリチュアルな雰囲気までもたたえた作品は希だろう。この映画はその意味でも特筆すべき仕事だと思う。

文明人は悩ましい

原作はノンフィクションだそうだが,映画の方はひとつの物語としてきちんと成立している。主人公はちょっと意志の弱そうな文明人として登場するが,峻烈な自然のまっただ中に放り出されてサバイバルしているうち,徐々に野生の息吹に染め上げられて適応していく。

その過程も適度にユーモラスで楽しいが,ひとつひとつのエピソードはどれもささやかなものだ。ハリウッドのあざとさみたいなものはここにはない。自然と共に生きている人々への,いかにもアメリカ人らしい憧憬が感じられて面白い。重要なキャラクターである謎のイヌイット,ウテックの描き方など見ているとそれがよくわかる。歴史のない国ゆえのコンプレックスかもしれない。

神秘のない国で暮らしていると,さりげなく自然の中で暮らしている人々のやることなすことすべてに神秘を感じてしまうのだろうか。ウテックの作ったあの大きな円盤みたいな楽器(楽器だよね?)は何ていうんだろう?

この映画が作られてもう17年(今は2000年4月末),世の中もずいぶん変わった。今はエスキモーという言葉は御法度になりイヌイットと呼ぶようになったが,セリフをよく聞いているとこの映画の中では両方出てくるようだ。過渡期の作品だったのかもしれない。しかしそんなレッテルは自称文明国の連中が勝手にやっていることで,この映画の主人公やウテックたちに言わせればナンセンスなことなのかもしれない。

ネバー・クライ・ウルフ

研究者たちの地道な努力によってオオカミ害獣説は修正され,今では高度に社会的な動物という認識もされるようになった。僕などは某作家の影響で昔からこの生き物のファンだが,それ抜きでもこの映画の訴えてくるものは大きい。誰もがオオカミという優美で知的で威厳のある生き物のシンパになってしまうに違いない。この映画のLDのジャケットなんかポスターにしたいほどカッコいいぞ。

立ち姿,振り向く姿,走る姿……すべてに映像美がある。それでいて主人公とのマーキング合戦?といったくすくす笑いを誘うシーンもあって暖かいものを感じたりする。こちらが無思慮に領域を侵さない限り大目に見てくれる,と主人公が悟る場面があるが,あれこそが人と自然の本来の関わり方なのであろう。

クライマックスとも言えるカリブーの大群のシーンは圧巻だ。カリブーの大群の中を裸で右往左往する主人公の驚きと興奮,そして遂に彼が知った真実。オオカミたちはまるで啓示を告げるもののごとく彼に真実を明かしたのである。

しかし,そこで終わらないのがこの映画のほろ苦いところだ。さりげないシーンが暗示する悲しい事件。人は開きかけた扉を自らの欲や不浄で閉ざしてしまう生き物であることを思い知らされる。オオカミは自然の一部だが人はもはやそうではない。観客は己の罪深さとともにそれを知るのである。

だからこそ,失われた絆を取り戻そうと主人公は新たな道を選び取る。その決断が清々しく,彼がいつかはオオカミたちに受け入れられるであろうことを願わずにはいられない。