灰皿魚ぞぬのアーキタイプという言葉が浮かんできたのは..
彼等は2尾揃って我が家へやってきた.私は1尾でよかったのだが,お店の人からどーしても2尾一組で引き取ってくれと言われたので,それではということで2尾一緒に引き取った.2つでいるものをむりやりひっぺがすとぷりちーだって祟る..ことはないかもしれないけれども,さみしくなって片方を探す旅に出てしまうこともあるかもしれない.あくまでも想像だが.でも,1尾づつ値札がついていたのだよ. それで,彼等の出身地だけれども,インドはインドなのだが,インドのどこかはわからない.どうしてインドということが分かったかというと,福岡市立博物館でヒンズー展だったかを開催していたとき,仮設のスーベニアショップで似たようなワイヤークラフトが売られていたからだ.でも,実はネパリものかもしれない..というと段々自信がなくなってきた.とにかく,インドかネパールかその辺りから来たものにはまちがいないだろう.まさかインドの展覧会でトルコのお土産を売ったりはしないと思うんだが.. 見てのとおりこの魚は灰皿になっているので,用途のあるぷりちーなのだけれども,私はたばこを吸わないし,うちに遊びに来る人達もたばこは吸わないので,実際には役立たずぷりちーと同じ扱いを受けている.とはいえ,彼等は本来の扱いをして欲しいと思っているかというと,そーゆー雰囲気でもないような感じがする.大体,彼等は灰皿とはいっても,灰を落とすだけの代物で,この形状ではタバコをちょっと引っ掛けておくことは無理だ.といって,本当に無理かどうかはやってみてないのでわからない.しかし,これが灰皿として使用されていたことについては疑いようがない.どうしてそこまで断言できるかというと,内側が焦げているし,これを買った時,中からタバコの灰がでてきたからだ.普通では考えられないことだが,これもインドだから仕方がないと思う.やせている方は鼻の先に半田で修理した後があるが,これは大切に使われていた証拠だろう. ところで,インド人のセンスなのだが,この鼻の先のぽちと太いくちびるがよくわからない.これがあるから魚の顔に見えないんだけれども,しっぽを見るとやっぱり魚かなあ..と思う.もしかしたら,お獅子を知らず『狛犬』という言葉だけで,狛犬を犬型に造ってしまった江戸時代の田舎石工のように,これを製作者したインド人は,ほんまもんの魚をまじまじと見たことがなかったのかも知れない.現実ではそんなことはないと思うんだけれども,事がインドなだけに,そーゆーこともあるかもしれないなあ..と考えてしまう.また,中国人民の中にも生まれてこの方肉といえば豚肉と鶏肉しか食べたことがなくて,生きている魚など見たこともないという人がいそうな気もする.日本にだって,高校を出るまで海を見たことがない人がいるらしいから,こういう想像もあながち間違っていないと思うのだが.. 後に判明したことなんだけれども,きやつら,インドの「ドクラワーク」という技法で作成されたものらしい.樹脂を混ぜた紐を巻いてつくった型に粘土をかぶせ,釜に入れて樹脂を溶かし,そこに真鍮を流し入れてこのような形に整形するのだそうだ.長生きはしてみるものだ..って,これ,フェアトレードの通販カタログに似たようなものがあったから分かったとゆーだけのことなんだが..(2002.04.25) |