[Home] [ぷりちーもくじ]

その14

おやぢっぷり


おやぢ バリ1号と一緒


なんで,こんなものが存在するのか,謎を呼ぶぷりちーであるが,奴の身元は比較的はっきりしている.入手先は福岡市中央区の『ギャラリー黒砂糖』という店である.黒砂糖は普段は沖縄焼き物+ガラス器+アジアの布展示販売,ときどき工芸個展を開催するギャラリーというまっとうな商売を営んでいるが,隅の方でぷりちーブローカーもやっているため,ちょっとだけだが闇の匂いも漂っている.そこで,何かの展示会をやっていたときに,布と一緒につい買ってしまったのだが,どうしてそんなことになったのか思い出せない.展示会の最終日に顔を出してそのままついてきちゃったという感じなのである.確か1300円で購入したと思う.我ながら,こんなものにどーして1300円も払ってしまったのか今では理解に苦しむが,そのときはお金持ちだったのであろう.とにかく,このへんてこな物体はなんとなくうちにやってきたのであった.で,ぷりちーブローカーの黒砂糖のおねえさん曰く.「これ,バリの木彫りなのよー.おもしろいでしょ.」
というわけで,奴はどうもバリ島で製作されたものらしい.

 後姿 なにもそこまでふんぞりかえらなくても..

 こーいう物はやたら塗装がはがれているからと言って古いものとは限らないが(工芸品ってそんなものである)奴のドロップタイプのメガネといい(今年の夏はまたドロップタイプがくるらしいぞ),紫のシャツといい,年期が入っているというか,不良のゴルフおやぢそのものである.これで,パンチでエナメルの靴を履いて金の喜平ネックレスでもしていれば更にノアール度数が高くなってくるが,さすがに奴はその境地までは到達していないようだ.なぜなら,奴はペンギンだからである.
ということで,バリの地理的な配置と観光客構成からして,奴はオージー観光客を想定したみやげ物だったことが想像される.オーストラリアにはペンギンもいるし,この腹の出方がなんだかオーストラリアおやぢを想起させるのである.バリに日本人観光客が押し寄せる前は,オーストラリア人ヒッピーがクタあたりで魔法のきのこを嗜んでいたというではないか.まあ,そんなことはどーでもいいけれども,もしそうならこの古び加減と見合った年代物(といってもせいぜい20-30年経っているかどうか)なのであろう.しかし,奴はオーストラリアには連れて行ってもらえず,何の因果か赤道を超え,北回帰線を超え,うちのチェストの上でふんぞり返っており,ときどき転げている(転げているのは奴がバルサ材かなにかの非常に軽い木でできているからである).まあ,オーストラリアよりは日本の方がバリ島からは遠いので,おみやげとしての奴は特に不満は感じていないかもしれない.

しかし,バリ人は,どーしてこのようなものを作ってしまったのだろうか.バリの彫刻というと,マス村で製作される黒檀などなんだか堅い木材の芸術彫刻と,極彩色のガルーダやバロンのお面やバリみみずくなどの派手派手しい色彩の物が有名である.塗装の様子から奴は恐らく派手派手彫刻をやっている工房で作られたものだと思われるが,奴のスタイルがバリのおみやげ彫刻界に新しい風をもたらしたかというとそんな事実はなかったのであろう.何年か前にバリに行ったが,おみやげに売られている塗装彫刻というと,バリ猫やらバリミミズクやら,バリカエルやら座りシマウマやら組み立て式バナナツリーやらといった原色またはパステルなものばかりで,こんだら不良な(確か不良なカエルはいたが),地味色のぷりは決して主流はなかったからである.

何かに似ているかとおもいきや..
後ろは,CLON(韓)の2nd Album (笑)


そういえば,リカンベント乗りな方面にもこーゆー方がおられたかも..嘘です.ごめんなさい.少なくとも腹は出てません..(2002.04.25)

                    

[ぷりちーもくじ]

Copyright (c) Harada,2000
All Rights reserved