オンザロードのウェディング


〜チュニジア〜エジプト〜


チュニスで医者の診察を受け、薬を飲み、体調は少しづつ回復に向かっているはずだ った。しかし精神的なものは、かなり尾を引き、すっかり旅を続ける自信をなくして いた。
そうは言ってもお腹は減るし、喉も渇く。そのあたりまえの気持ちが、私を町中に押 し出してくれた。
モロッコより英語が通じないだけ、おもしろ半分の声がかかることもなく、いつもの サンドイッチ屋とは、すっかり仲良くなった。人々とは言葉は通じなくても、とても 温かく、それは少しづつ私に元気を取り戻してくれた。


チュニジアから空路カイロに向かう中、紳士的なエジプト人が隣になった。彼はオン ズイ、40歳。アレクサンドリア在住で、仕事は木材輸出入で、今日は出張の帰りだ という。信用できそうな人だと思い、彼に頼んでみることにした。
「今日到着して、もし町中まで行くのなら、そこまで一緒に連れていってくれませ んか」
というのも、また到着が夜になってしまうからである。チュニス空港でのような緊 張を強いられたくなかった。
オンズイは快く承諾してくれた。
長蛇の列にダラダラと待たされ入国したのは夜11時過ぎ。
「空港のバーで冷えたエジプトビールでも飲もう」
とオンズイは提案した。
宗教上の理由で、機内サービスにはもちろんアルコールは出てこない。この暑い中、 モロッコやチュニジアで冷たいビールを探すのは大変なことであったのだ。
私たちは飲みながら、お互いの国の話しに盛り上がった。

それは、ホントに唐突な言葉だったのだ。
「アイ ウオント ユー」
とオンズイが私に投げかけたのである。あまりの発言にポカン・・。
「いやだったら、気にせず断ってくれていいんだよ。怒らないで」
と言うのだ。
ほんのさっき、
「チュニスの女性から求愛されてて、困っているんだ。自分には妻子がいるしね・・」 という話題をしていたことろである。
私はお断りした上、その話題をもちだすと、
「チュニジア人は好きじゃないけど、日本人は好きなんだ」
とものすごくわかりやすい返事が返ってきた。そうか・・やっぱりここは間違いなく イスラムの国なんだ。ビールが気軽に飲めても・・と再認識。その話題はそれで終わ ったが、ビールでのぼせた頭をガツンとなぐられた思いだった。
夜中の2時過ぎ、オンズイが交渉した白タクでやっと町中に入り、暗いビルの4階の 安宿、シングルで23エジプトポンド(約690円)にチェックインした。オンズイは
「是非アレクサンドリアに遊びに来たらいいよ。家族で歓迎するよ」
と言い残して、その白タクで帰って行った。


サイエドと会ったのは、カイロ町中の小さな郵便局だった。エアメール用窓口で、 彼はフィンランドへ、私は日本へ手紙を送ろうとしていた時のこと。私の手紙がダメ だと戻されて困っていたのだ。それは手紙以外にネックレスを入れていたため、 受付けられないと言うことであった。
英語で「どうしたらいいんですか?」
と聞く私に、現地の言葉で何かを言う窓口の女性。サイエドは
「中央郵便局なら受付できるそうですよ」
と教えてくれた。
しかし中央郵便局どこなのかわからない。この手紙はできるだけ早く送りたいわけ があった。
「もし必要なら案内しましょうか」
とサイエドは言ってくれたのである。 彼は25歳、政府の病院で心理学者としてカウンセリングの仕事をしている。彼は今 までのアラブ人ようにギラギラしたところが見られない人物だった。
サイエドは私をホームタウンに連れていき、家族を紹介してくれた。ご両親と弁護士 のお兄さん、年が離れた弟アイマンと妹ノラ、みんな笑顔で迎えてくれた。ノラは私 のことを「おしん、おしん」と慕ってくれる。去年放映された「おしん」は大人気を 呼んだそうだ。
サイエドとはいろんな事を話した。フィンランド人のガールフレンドがいて、長距離 恋愛を続けていること。心理学者として、いろんな相談に頭を悩まし、一緒に取り組 もうとする話。政府の病院は月給が安く、約200ポンド(約6000円)しかないこと。 もっと勉強してアメリカに行きたいという夢。
サイエドとの出会いは私にとって忘れがたいものとなった。

数日後、サイエドの友人のウェディングが行われた。彼らのセレモニーは2日間もの 間夜通しで続くという。1日めは家族や親戚たちが歌い、踊り、賭事しながら、ドン チャン騒ぎ。2日めには団地と団地の狭い路上で、赤い絨毯を引き、純白のドレスと タキシードに身を包み披露となる。
「僕たちは、自分達が“生まれ育ったこの道で”祝うんだよ」
とサイエド。それは町中の祝福を受けたとても温かい儀式だった。


●次はエルサレムの究極の安宿(イスラエル)です。

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