エルサレムの究極の安宿


〜エジプト〜イスラエル〜


エジプトからイスラエルへ向かうバスの中で、ビザの期限切れが発覚、またヒヤッと させられた。7日間という許可のなのに、11日間滞在していて、延長の手続きが必 要だと言う。
一瞬アセったが、罰金を払えば国境で手続きしてくれると聞いてひとまず安心した。 しかし、これが出国審査を手間取らせ、イスラエルの入国を済ませた時には、バスは 私をおいて出発してしまったのである。
「ウッソー!テルアビブまでバス代払ってんだゾー、金返せ〜」
まったく、ダラダラ待たされたあげくのことで、なおさら腹が立っていた。
よく見ると、この国境は原っぱを柵で囲っただけである。まして夕方4時半だという のに、路線バスさえ走ってないという。仲が良くない国同士とはいえ、通しのキップ を売ってるのだから、どうにかしろ・・と言いたいところである。


結局イスラエル人夫婦とタクシーを相乗りし、途中からバスに乗り換え、テルアビブ でなくエルサレムに向かった。話しには聞いていたが、タクシー・バス共に日本並で ある。
また、ずっと利用してきたユースのドミトリー(共同部屋)が、ここエルサレムで 男女一緒になった。1ベッド1泊12シュケル(480円)、屋上にゴロ寝だと5シュケル (150円)で泊まれるという。部屋も屋上もはっきりいって清潔にはほど遠い。共同 冷蔵庫はびちゃびちゃだし、ビールやミネラル取ったの、取られたのでいやな思いを することもしばしば。しかし、男女一緒と言われた時はポカンとしたが、慣れれば案 外こっちの方がおもしろいと思えてきた。
ガイジンの女性は躊躇なくモロにガバッと上半身裸になって着替えてるし、洗った下 着は屋上に堂々となびかせて干すし、パンツ一丁で寝てるし、たくましいかぎりであ る。
またここでたくさんの日本人に会うことになった。日本語に飢えていた私に、たのし い仲間ができた。大学生のタカくんと鈴木くん、今年大学卒業したたかしくん。日本 を出てもう一年になる絵描きのユーゴさん。
宿代以外は物価が高い為、毎日共同キッチンで米を炊き、野菜を切って自炊に徹した。 1回の予算を一人3シュケル(120円)に押さえ、ゴールデンシェフでもあるユーゴさん が腕をふるってくれた。ほかのガイジンたちが作ってるのが、スパゲッティや湯でた ポテトやソーセージぐらいなものなので、私たちのメニューは注目の的であった。


ここエルサレムは3つの宗教の聖地として有名な町である。アラブ人、ユダヤ人、ク リスチャンがそれぞれの、聖なる場所の近くで生活している。また、たくさんの人が それらを目指してきていた。
ユダヤの嘆きの壁の後ろには、イスラムの岩のドームがあり、イエスキリストのたど った道も、聖墳墓教会も隣接している。
しかし違った宗教や、人種を受け入れてはいても、“ケンカはしないが仲良くもしな い”という黙認と無関心のベールを被っているように私には見えた。
また、ユダヤ人の店には“定価”が表示されていた。缶ジュースが4〜5シュケル (140〜170円)もするのだ。しかしアラブ人の店では2,5シュケル(90円)まで交渉 できる。野菜も果物も肉もアラブ人で気長に交渉した。次第に馴染みの店もできたが、 彼らは私が知ってる他の国のアラブの人々とは違っていた。
しつこくねぎり過ぎたり、他の店を見てきて戻ってみたりすると、プライドを傷つけ られたといわんばっかりに冷たくなり、
「あんたなんかには売らんよ」
というふてぶてしく言われてしまう。ここでの交渉は潮時がむずかしいのかもしれな い。


旅には別れがつきもので、その時がやってきた。
たかしくんとユーゴさんはこの国で働く。かおりちゃんはエルサレムに行って、パレ スチナ難民のボランティアに合流する。鈴木くんはエジプトへ、タカくんはトルコへ 、あの学生二人組は死海からヨルダンに向かった。私はハイファという港から、3泊 4日をかけて船でギリシャに渡るつもりだ。
出会いとは本当に不思議だと思う。
バスにおいていかれなかったら、私はエルサレムではなくテルアビブが最初の街にな っていたはずだ。彼らとどこかですれ違うだけだったかもしれない。そんな不思議な 出逢い。みんな元気で・・グッドラック。


●次はイスタンブールのコレラ騒動(トルコ)です。

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