起承転結そしてビョーキ


〜モロッコ〜チュニジア〜


ワルザザードから更に南へバスで3時間、砂漠への玄関の町ザゴラへ着いた。
道が悪く、胃がひっくり返りそうなバスから、やっと降りることが出来ると思ったの に、外はさらに地獄だった。暑いことは分かっていたが、道路の照り返しがこんなに すごいとは・・。これでは息がマトモにできない。それに茶褐色の砂は街中を吹き荒 れいる。おちおち目も開けてられない。
この真夏にこんなところまで来てしまったことに後悔していた。
さすがに観光客もいないのだろう、自称ガイドは私からぴったりくっついてくる。だ んだん話す元気さえなくなっていた。


冷房をあてにして、3ツ星ホテルを奮発した。ここならあるだろうと、部屋を見ずに 決めてしまったのである。
しかし室内には役に立ちそうもないファンが一つ。ベッドは熱したフライパンのよう に熱い。おまけに水が出ない。水の蛇口からもお湯の蛇口からも出てくるのは、もう もうとした熱湯だった。
ポタッ・・。
鼻血だった。
私は慌てて部屋を出た。
廊下は、吹き抜けになっているため、部屋よりは随分マシである。ソファに仰向けに なって、私はどうするか考えていた。
ホテルを変えることはできる。パスポートも預けてないし、宿代も前払いしていない。 でもまたあの恐ろしい外に出ていく勇気がなかった。日が落ちれば・・夜になれば・ ・温度も下がるだろう・・と。
私は“夏の砂漠”という自然の恐ろしさを知らずに、そう考えたのだ。


鼻血が止まると、頭を冷やそうと1階のバーでビールを頼んだ。黒のベストスーツ のボーイがキビキビした動作で、おしゃれなグラスと瓶ビールを持ってきた。しかし ぬるい。ちゃんと立派な大きな冷蔵庫がそこにあるではないか・・。しかしその理由 は、ミネラルを買った時に分かったのである。
冷蔵庫がその役目を果たさないのだ。冷蔵庫の中に手をつっこんでも全然冷えていな いのだ。冷凍庫に氷はできないのである。柱にかかった温度計は55度を指している。 冷房なんて効くはずないからはじめからないのかもしれない。お金を出しても冷たい 飲み物さえないといわけである。

日が落ちても部屋は蒸し風呂状態のままだった。昼間より熱がこもってさらに息苦し い。また部屋に入ると、なぜか鼻血が出てくる。
プールサイドで夜明かししようと考えた。しかし、時々風で椰子の木の実がプールに 落ちて、不気味に響く。そんな私に当直のフロントマンが、屋上に案内してくれた。
従業員の寝所のようだ。そこはウソのように涼しかった。私は生き返ったような気持 ちになった。散乱しているマットをひとつを引き寄せ、仰向けになった私に、さらに 思いがけない贈り物を見た。それは今まで見たこともない数と大きさと・・手の届き そうなくらい近くに広がる星が目の前に光っていたのだ。


しかしこの砂漠の一日で、私の体調は一気に崩れてしまった。鼻血と、激しい下痢に 悩まされ、食欲がなく、喉を通るのはコーラだけになった。

また、お隣のアルジェリアは政情不安定が続き、陸路での通過はあきらめざるをえな くなった。となると、どこかで安い航空券もさがさなければいけない。

砂漠の町から、北へ上ると気温は30度前後に下がり、猛暑から解放された。しかし 今度は風邪をひく始末。
そんな体調で、フェズの町でも格安航空券をさがした。
「モロッコには格安航空券なんてないんだ」
とあきらめかけたとき、小さな旅行社でサウジアラビア航空を勧められた。今までど この旅行社でも、サウジアラビア航空が飛んでることさえ話しに出てこなかったので ある。航空券は約半額の1万6千円、そのかわり週に1便しか飛んでいない。という ことは、明日の便か8日後の便かになる。私は体調をこわして早く出発したい気持ち でいたが、8日後の便に決め、体をゆっくり休ませようと考えた。


しかし体調は良くならないまま出発の日になった。
それに加えて、機内は冷房ガンガン。激しい悪寒がし、毛布を数枚巻き付けても震え は止まらない状態。
そして着陸寸前のこと、なんと鼻血が勢いよく吹き出した。また鼻血、熱い町でずっ と悩まされ続けた。でも今度は寒いのだ。何で今鼻血が出るのだろう・・。
誰も私の様子に気がついてくれる人はいなかった。着陸態勢のためか、スチュワーデ スもいない。
やっとの思いで、ふたどなりのオバチャンに手が届き、彼女は私に脱脂綿を握らせた。 でもそれだけで、だれかを呼んでくれる様子はない。
横たわってる私に、機内放送はイスラムの神アッラーへの祈りを唱え始めた。長い祈 りのあと、無事着陸。機内は拍手であふれた。
スチワーデスを呼んで欲しかった。しかし声にならないのだ。チュニジアの人が冷淡に 私を眺めているように見えた。誰ひとり声をかけてくれるわけでなく、通りすぎてい く。
そうたかが鼻血なのだ。どうかしてくれるのを待ってるヒマはない。降りなきゃサウ ジアラビアまで行ってしまう。降りなければ・・。
最悪だった。


遅れて到着した夜のチュニス空港では、もうすでに路線バスは終了していた。タクシ ーに乗りたくはないが、ここで夜を過ごす気力もない。私はインフォメーションで、 町中の安宿を5件ぐらいピックアップしてもらい、町の中心までのタクシー料金の相 場と、メーターがあるタクシーはどれかを聞き、歩き出した。
タクシーの運ちゃんはメーターをたおしてはくれなかった。英語もまったく通じなか った。おまけに他の男に相乗りされて車は走り出した。
私は、最後の気力をこのタクシーを降りるときに振り絞ろうと思った。走ってる今ガ タガタもめれば余計刺激しそうな気がしたのだ。目的地に着いて、とにかく車を降り るその瞬間に・・。
街の明かりが見えてくると、私はいつでも降りる態勢を整え、5ディナール(500 円)を握りしめた。
最初の宿は、暗い通りに面していた。空き部屋はないといわれ、運ちゃん私にぴった り着いてくる。ここで降りるのは本能的に恐かった。
結局大通りで車を降り、握りしめたお金を渡し、運ちゃんの顔を見ると、何を言うわ けもなく、車に戻っていった。本当は悪いオヤジではなかったのかもしれない。

ホテルに入り、シャワーを浴びた数時間後、今度は耳に痛みが走った。時間が経て ば経つほど気が遠くなるほど痛みが強くなる。到着したばかりの国で、言葉も通じな い国で、下痢と風邪と鼻血と中耳炎か・・。


ひとり旅の時の病気は心細さに拍車をかける。病気にならないようにするのが一番 だが、長い旅になればそうはすまない。今まで、たまたま病気をしなかっただけで ある。いろんなコトがあってもみくちゃになったあとには、その疲れた体を、旅を 続けながら、自分自身で、癒さなくてはならない。

やっと国際電話が通じた。受話器から流れてくる、旅行保険緊急医療サービスの日 本人の女性の声が、とてもやさしく聞こえてきた。

 


●次はオンザロードのウェディング(エジプト)です。

先頭ページに戻る