アラブの洗礼


〜ポルトガル〜スペイン〜


列車はポルトガル大西洋のリゾート“ラーゴス”へ向かった。

駅の改札を出ると客引きのオバサンたちが待ちかまえている。ひとりのオバサンが まっすぐ私に近寄ってきた。
「どこから?」
「日本・・」
「部屋持ってるんだけど借りない? キッチンも自由に使っていいよ」
「1泊いくら?」
「1500エクスード(約1000円)」
「じゃあ、部屋を見て決めてもいい?」
案内されたのは2LDKの広々マンションである。大きな窓のリビングは明るい日差 しを浴び、清潔なキッチン、部屋はシンプルで申し分のない部屋だった。
ラーゴスは小さなリゾートで、駅も町中もバスセンターもビーチも歩いていける範囲 である。スーパーで買い物をした私は、サンドイッチを作り、凍らせたビールを持っ て、海辺でのんびりするのが日課になった。日本人を含め東洋人にはひとりも会わな かったが、ヨーロッパからの家族連れで賑わっていた。

しかし次第に妙な感覚が生まれてきた。
日本を出て3週間、いろんな人と出会い、助けられ、予定通りにここまできている。 そのことが不満なわけではない。でもやっぱり何か足りなかった。


スペインとの国境にあたる小さな川を船で渡り、南に下りヘルバという町に到着した。 乗換のバスを待っている間、チキットというモロッコ人に英語で話しかけられた。
彼は25才、スペインで仕事をさがしてるという。
最初から多少なれなれしいと思ったが、だんだんエスカレートしてきて、顔や髪にさ わり、肩や首に手をまわし、ベタベタと密着する。こういうのがアラブ人なのだろう か・・。
「ベタベタさわらないで、やめてよ」
とはっきり言うのだが、英語はわかるはずなのに、ヘラヘラして一向にやめない。

彼はイスラム教徒である。
インドへ行ったとき時、イスラム人居住区でへんな集団に追いかけられて恐い目に あったことが思い出された。宗教柄自由に恋愛はできない、また一夫多妻制だから、 力を持った男は複数の女性を妻にできるが、一方そうでない男達はホモになったり、 外国人に近づいてみたりして、はけ口をさがす。インドで追いかけられた集団はそう いう男たちだった。
ふとその光景が頭をよぎる。チキットの目がそういう目をしているかというと、それ は違うように思う。しかしながら、ベタベタはこれ以上ごめんだ。

目的地は同じでバスは満席だった。耐えるしかない。私は窓に体をピタッと寄せた。 「到着するまでのガマン・・ガマン」と。
しかしもうひとつ問題はあった。数時間後到着するアルヘシラスという町を私は まったく知らない。
時刻は夜9時を回っている。もう着く頃なのに、一向に着かないのだ。このままでは 10時には暗くなる。


到着後、何度もこの町に来ているチキットは得意げに
「宿はあっちの方だよ」
と促す。情けないながらこう暗くては右も左もわからない。
『もうちょっとの我慢、宿の目印つけるまで・・』
しかし次の瞬間、私はとうとうプッツンした。
彼は一緒にツインに泊まろうとしている。それも、のうのうと当然のような顔して。
「シングル2つにして下さい」
と英語で宿のオバちゃんに言ったが通じない。チキットは私の言葉にげげんな顔して る。
私は外へ出た。冗談じゃない・・。
チキットは追いかけてきて言った。「ホワイ?」
「なにがホワイよ。あたりまえだろーが、なんでツインに一緒に泊まらないかんの よー」
この状況で“ホワイ”という無神経な言葉にますますムカつく。チキットは私の 剣幕に、肩をおとした。でも離れようとしない。


ビルの2階に宿の看板を見つけた。私は走って階段をのぼる。
部屋空いてますか? いくら? ・・OK、早く案内して・・。チキットも階段 をのぼってきた。
おやじが「お連れさん?」という顔をした。とんでもない。違うから、早く部屋 に案内して・・。おやじはチキットをそこに残し、私を上の階に連れていった。

部屋は1,000円と言えど、ひどいものだった。
しかし他をさがす元気はない。疲れていた。
うすいベニヤ板のドアは、カギをかけていても落ち着かなかった。私の部屋の前が 共同のトイレとシャワーで、チキットがこのホテルの同じ階の向こうの部屋に泊ま ったことがわかった。
夜の11時、12時、1時・・・チキットは私の部屋の前にきてノックを何度もし た。私は部屋のすみっこで朝を待った。

翌朝、チキットが追いかけてこないように早々に宿を出て、モロッコ行きフェリー に乗った。昨日はほとんど眠っていない。私は出航と同時にデッキでぐっすり寝入 ってしまった。
船がタンジェ港に着き、他の人と同じように下船しようとする私に係員はストップ をかけた。えっ!これって、もしかして上陸拒否?


●次はイラク人からアイラブユー(モロッコ)です。

先頭ページに戻る