イラク人からアイラブユー


〜モロッコ〜


ラバトのキップ売場でアブドウというモロッコ人と一緒になった。
彼はフランス語、スペイン語は話せるが、英語はわからないと言う。それでも、私を ホームへ案内し、座席を見つけ荷物を棚にのせてくれた。
列車はカサブランカに向かっていた。
タンジェの駅では、こんな風に親切に動いて、ちゃっかりチップを要求されたが、ア ブドウがそうでないことは、不思議にわかった。
言葉が通じない私たちは、少しづつ話した。「仕事は?」「教師だよ」


カサブランカのユースホステルはメディナの中にあった。1泊30ディラハム (370円)で8人部屋。部屋にはいるとジュラバを着た女性がふたりいた。ひとり とは、ボンジュールと挨拶をかわしたが、もうひとりは歯が痛いらしく、ほっぺたを 押さえてうずくまっていた。
挨拶をかわした彼女が、「マドモアゼル!」と私をロビーに呼び、公衆電話の受話器 を渡した。
「なに?」
というと
「しゃべって、しゃべって!」
とジェスチャーする。受話器を受け取るとすごい雑音がした。「ハロー」と言ってみ ると向こうからも「ハロー」という女性の声が聞こえた。しかし雑音はものすごく、 すぐお互いの声はまったく聞こえなくなった。
「雑音がすごくて話せないよ」
と首をふり私は受話器を彼女にわたした。彼女は「ほんとねえ」とうなずき、受話器 をおいた。
この不可解な出来事が、ズビダという女性との出逢いになるのである。


ユースのななめ前にハンマムがあった。ハンマムとはこっちの公衆浴場である。これ からメディナをうろついて、腹ごしらえをして、そしてハンマムに行ってみようと計 画たてた。
メディナの中で、魚のフライの臭いにつられて、細い路地に入った。すぐ
「チーノか?」
と声がかかる。モロッコではまず一番に「チーノ」(中国人)だ。日本人か と初めに聞かれることはほとんどない。
「チーノじゃないよ。ジャポンだ」
「オージャポン!ウェルカムモロッコ」
そう言われる頃は、すでに腕を握られていて
「うちに入ってよ。おいしいよ」
となる。向かいのおやじも魚を揚げながら、
「どうだ。うちは揚げたてだぞ」
と対抗意識を見せる。
同じような店が細い路地の両側に並び、客の取り合いだ。パッと見渡してどこも変わ らないようで、おいしそうな臭いもいっしょである。“揚げたて”に誘われてそっち の店に入ることにした。揚げたてに誘われたのに、前に揚げたやつを皿に取ろうとす るので、
「こっちにしてよ」
と。
魚は白身の切り身と青魚のまるごとフライの2種類で、コーラをよそから買ってきて くれた。魚を手でむしりとり、唐辛子たっぷりのトマトソースをつけて食べる。この ソースがさっぱりしておいしい。パンはタダらしい。丸く大きなパンを持って、
「どのこらい食べるか?」
とちぎるマネをする。これで合計15ディラハム(約190円)である。

メディナを適当に歩いてユースまで戻る途中、どうやら迷い込んでしまったらしい。 さっきまでの土産物や店がまったくなくなり、路地もやたらせまい。歩いている人の 目つきが違う。行けども行けども道はせまくなり、クネクネ曲がっている。
「やばい。迷ってしまった」
ギラギラの目が全身につきささる。インドのバラナシのイスラム人居住区で、たくさ んの人にさわられ追いかけられた時とダブってくる。背筋が寒くなった。駆け足にな る。「チーノ、チーノ」と声がかかる。つけられている。とにかく少しでも大きな通 りに出なければとあせるだけだ。どっちに行けばいい? 恐くて立ち止まれない・・ ・。走ったら追いかけてきそうだと思った。落ちつけ・・落ちつけ・・。


ようやく大きな通りにたどりついた時は、汗びっしょりになっていた。

ユースの近くの公園でひと休みしようとベンチに座っていると、ひとりの男性が近づ いてきた。さっきユースの壊れた電話機のところにいた人だ。彼は何かしゃべりかけ ているが、まったくわからない。
「イングリッシュ?」
と私が言うと
「ノーイングリッシュ」
と言う。お互いチンプンカンプンも時間がたてば大体あきらめるのだが、彼はますま す一生懸命になって、何か言ってるのである。
聞き取れるのは「タクシ」と「カリブ」。タクシーはこっちでもタクシーだ。カリブ はなんだろう。彼はタクシと同時に片手を開き、「5」を示す。5分か?5ディラハ ムか?
なんとなく悪い人には思えなかった。とにかく一生懸命なのだ。どっかに行こうとい ってることは間違いないようだ。私は「じゃあ行こう」と言った。
タクシーで5分、運賃は5ディラハムのところで私たちは降りた。少し歩いて、着い たところは家のようだった。彼が「***」と大きな声で言うと、中から
「こんにちわ」
女性の声がした。これがズビダとの出逢いだった。


ズビダは去年日本に半年間滞在していたらしく、私を見てとても懐かしそうにし歓迎 した。また私をここまで連れてきた彼は、アバスというイラク人で、アラブ銀行に勤 めているトモダチという。
ズビダは日本人が好きで、アバスはそんな彼女を喜ばせようとしたのである。
ユースの電話で雑音の向こうにいたのはズビダであり、アバスがズビダをびっくりさ せようとしたことであったことを私は知った。
彼女は今27歳で、英語とフランス語が上手だった。以前、半年の間、東京と大 阪と広島に滞在し、フランス語を教えたり、モロッコ料理やお菓子を作ったりしてい た。当時のアルバムを見ながらなつかしそうに語った。
日本語はほんの少し単語は覚えてるけど、ほとんど忘れてしまったこと。その東京 にいた時日本人の彼ができて、彼は2度ここカサブランカに来てくれたこと。彼は 典型的な日本人タイプで、こっちになじめないことや、最近東京から、北九州に引っ 越したこと。しかしそれ以来音信が不通になってしまったこと。
ズビダは彼が好きでたまらないらしく、アバスが仕事に戻ったあと、“日本人の恋愛 と結婚”について、次々に質問を投げた。彼女はあまりにも違う日本とモロッコの生 活習慣に悩んでいるように見えた。
モロッコの女性は22、23歳が適齢期だと言う。結婚したらもちろん専業主婦であ る。そんな世界で今彼女が仕事を見つけることは難しい。彼女はもう一度日本に行き たがっていた。
ズビダは、もっとたくさん話したいから、ここに泊まって、と私に言った。
そうさせてもらうことにした。
ただ、ここにさっきのアバスが居座っていることは知らなかったのである。これから またもや、アラブの男にベタベタとまとわりつかれるはめになってしまった。


日本人であることは、ぼられることは多いが、タクシーにアバスと乗った時、そのこ とは起きた。運転手が2倍の金額をふっかけてきたのである。最初は少し冷静なやり とりがあったが、結局アバスが怒り狂ってお金を叩きつけた。いつもニコニコしてる アバスからは想像できない程のすごい形相だった。
あとでズビダに通訳しもらったが、
「日本人だろ。だから倍よこせ。金持ちなんだから払ってもらえよ」
と言われたそうだ。それに対し
「彼女は大切なゲストなんだ。友達なんだ。だからお金はボクが払う。倍にするのは おかしいじゃないか」
と。
「お金が惜しいのでなく、あんな奴がいることが腹立たしいのよ」
とズビダは続けた。アバスがあんなに必死に怒ってくれたのを本当にうれしく思った。

この一件で私のアバスに対して感謝の気持ちは生まれたが、相変わらず首筋に息を吹 きかけたり、露出狂まがいのことをして、私を怒らせる。でもズビダは
「これがアラブの典型的な男性よ。ノーマルよ」
と言う。
『これがノーマルと言うのなら、もう絶対、アラブの男には寄らないぞ』
と私は心に誓った。
私にそんな決心させたアバスはニコニコしていつもの言葉をささやく。
「ジャパンマン ノー グッド。アバス グッド」
「ブーン、ブーン イラク!」
ズビダは笑って通訳する。
「結婚してイラクに行こうよ。アラブの男は日本の男と違って一生やさしいよ」


●次はアトラス山越えでバスが衝突(モロッコ)です。

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