リスボンの野外ダンスパーティ


〜ポルトガル〜


パリから乗った列車は、昼すぎにリスボン駅に到着した。風が蒸し暑い。
人の流れの後ろについて歩くとそこは港だった。その前には工事中の広場、その門の からは石畳の通りがまっすぐ続いているのが見えた。
まずは今日の宿探さなくてはならない。宿の目印はペンサオンという看板である。建 物の3階や4階に小さく出てると聞いていた。
 私は、中心の広場の近くの暗いビルに、一泊1500エクスード(約1,000円)で6人 相部屋に入ることにした。
 荷物を置いてやっと一息である。ここ3日、ずっと乗り物の中で寝ているのだ。白 いシーツのベッドがうれしいく感じる。
その時である。“ビリっ!”。Gパンのお尻が破れた音だった。
いままであちこちの国をうろうろしたこのGパンは、お守りだったのだ。すでに両膝 は大きく破れてしまったが、なかなかはき心地よく、旅する時は一緒に歩いてきたの のある。
 こんなに早く捨てなければならない・・ことは、唯一の旅の道連れを失った気分 だった。捨てようか・・・しかし私はハンカチを取り出して、お尻の部分を大きく 縫い始めた。


翌日ブラブラ町を歩いて、テージョ川の湖畔で休んでいると、ひとりの男性と知り 合った。彼はドメニーテという名前と、イタリア人で、飛行機の部品関係の仕事の都 合で、リスボンに滞在していると話した。ヨーロッパ各国を点々としたために、話す だけなら、いくつかの言葉を使える、とつけ加えた。
私たちは石畳の坂道をゆっくり散歩し、足が疲れた頃、彼はワインでも飲もうかと 提案した。この国では、アルコールはホント安いし、キオスク風の立ち飲みバーが点 在し、朝からでも健康的に飲んでいるわけだ。
彼がつれて行ってくれたバーは、細い路地裏にあった。窓はない。繁華街のバーと ちがって、ひとりだったら入ることをためらいそうなところである。来てる 客も地元の人ばかりのようだ。こういう庶民の生活の臭いがす るところがいい。私はうれしくなった。
ワインは、普通のコップに並々と注がれた。まるで一升瓶を傾けるように、こぼしな がら注ぐのがいい。ぬるく口に広がったワインは、トロリと辛口だった。


リスボンではファドを聞こうと思っていた。ファドはポルトガル独特の音楽で、暗 く、哀愁と哀惜に満ちた旋律・・・らしい。しかしひとりで行くのはおもしろくない。 同じ部屋のアメリカ人とスウェーデン人を誘ってみた。彼らはファドにまったく興 味を示さなかった。
その点ではドメニーテも同じだった。ファドを聞こうなんて日本人だけなのだろ うか。たしかにファドレストランは高い。そんなこと考えていると、
「今晩ダンスパーティに行こう」
とドメニーテが言った。
「リスボンの夏はこれだよ」というのだ。


夜9時頃、街のあちこちに簡易ステージが設けられた。楽器が運びこまれ、メンバ ーがそれぞれ音を出し始めた。まわりには、即席夜店ができてくる。太ったおじさん はドーナツをあげていた。そして生地を振り回し練って、大きな体でゆさゆさとリズ ムをとり、その生地を油の中に流し込む。揚げたてに砂糖をふりかけて、子供たちに 渡される。おじさんも子供達もパーティの始まりを今か今かと待ちかまえているよう に見えた。
盆踊りの時のような明かりが灯もった。いよいよ始まりそうだ。
同時にぽっかり空いていた真ん中の空間に、老若男女たくさんのカップルが流れ込む。 踊っているのは、社交ダンスである。でも音楽はかなりアップテンポ。ステップを見 てるだけで、足がもつれそうだが、みんなとてもうまい。
拍手と笑いで人がどんどん増えてきた。暑い夏の夜のひと時は、昼間には見えない この国のエネルギッシュな一面を感じさせてくれた。


●次はアラブの洗礼(スペイン)です。

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