〜モノがないということ〜


〜シベリア鉄道〜モンゴル〜


列車は真夜中の出発だった。
キオスクで5日分の食料を適当に買って乗り込んだ。
ルームメイトの3人は若い男性で、検札が済むのを待っていたかのようにときっちり とドアを閉めた。何かイヤな予感である。
一番若いイタズラ坊主みたいなひとりが、うるさい音楽をガンガンにならし始めたと 思うと、踊りだし、歌いだし、それにウオッカが入ってヘロヘロになってきた。食べ かけの缶詰が転がったまんま、桃の皮があちこちに散乱したまんま、床にこぼれたウ オッカとタバコが混じって異様な臭いである。
やっと静かになったかと思えば、今にも吐きそうに「オエー」と唸っているのがひと り。最悪の夜だと思った。


朝になると、一番うるさかった男が列車を降りていった。
ずっと“このメンバー”なんだと思いこんでいた私は、とたんに元気が出てきた。
そして次にはやさしそうなオジサンが乗ってきた。彼はみんなの分の紅茶をいれ、 クッキーとチョコをテーブルにひろげ、気まずかった私たちの空気を変えてくれた。
オジサンの好意はとてもあたたかく、このふたりはただ“あいつ”に振り回されただ けかもしれないと思えてきた。
夕食時、オジサンは、おかず屋のおばちゃんから湯気のたった水餃子みたいなのを買 ってくれた。それは“マンタ”というものだと教えてくれた。ものすごくおいしくて 、なつかしい味がして、まだ遠い中国を思わせるものだった。


翌日頼まれて部屋をかわることになった。
彼女は何度も「スパーシバ」(ありがとう)と言って、バナナを3本くれた。ロシア に入ってからというもの、栄養があって空腹も満たしてくれるこのバナナにかなりお 世話になっている。有り難く頂いた。
今度の部屋のロシア人夫婦は、“食事を一緒に”とすすめてくれ“半生肉”やパンや スープをご馳走してくれた。モスクワという都会でふれられなかったロシア人の普通 の生活にやっと出会えた気がしていた。


モンゴルとの国境の町ウランウデでビザが取れるとウランバートルに向かった。10 月になっていた。
車両は今まで乗った中で一番古く、上部の窓が10センチぐらい閉まらず、寒い夜を 過ごし、列車は予定通り早朝に到着した。ものすごい冷たさである。列車で仲良くな ったモンゴル人の家族と一緒に降りたが、駅前の混雑ではぐれてしまった。おまけに それに駅の建物の中は静まり返っていて、両替もできない。私は仕方なく歩きだした。

アルターと会ったのは、町の交差点だった。もう2時間も歩いてて、方角さえわから なくなっていた時のこと、
「アノー ニホンノカタデスカ?」
日本語だった。
「・・そうです。・・日本語、わかるんですか?」
「はい。私は大学で日本語を勉強しています。・・何か困ってますか?」
目の前がパッと明るくなった。何てラッキーなんだ。こんなところで日本語が話せる 人に出逢おうとは・・・。私達は自己紹介をした。アルターは学校に行く途中だった のに、安宿を一緒に探してあげましょうか、と言ってくれた。

学校が終わったあとには、待ち合わせて、博物館に行き、夕食を一緒に食べいろんな ことを話した。
「ミツコさん。私はモンゴルが資本主義になったことがうれしいです。だって頑張れ ば頑張っただけ豊かな生活できるんですよね。だから私は経済を勉強しようと思って います。・・昔の日本はそうだったんでしょう? 日本は今は豊かで、何でもあって 幸せでしょう?」と。


ここにはロシアよりももっともっとモノがない。モスクワで庶民の食べ物をさがすの に苦労したけれど、ここではもっと苦労している。スーパーにあるのは、とても日本 では店に出せないような、しなびた野菜が並び、市場は羊肉かたまりばかりである。 電気製品のコーナーには、古い型のテレビやラジカセ、しかも誰もが勝手にさわれな いように、奥のひな壇に飾られているように見えた。
“買う人だけ”がそれらを手にとって確認できるのである。
「“今度はこれを買おうね”と家族みんなで努力するのよ」
とアルターは言った。
ふと“日本の戦後”の“物が無い時代”はこんなだったのではないか・・という思い がよぎっていた。モノが豊かでなくても、ウランバートルの人たちは、明るくて親切 で生き生きと見えた。
アルターの「日本は豊かでしょう?」という問いに私はすぐ答えることができなかった。
「今の日本はモノの豊かになったけど、心は豊かじゃなくなっているの。精神的な病 いに悩む人が大勢よ。日本ではモノの豊かさと心の豊かさはイコールでなくなってい るの。」

アルターが私の言葉をどう解釈しただろう。私自身、自分を見失っていたために、放浪 の旅に出たとは言えなかった。


これからこの旅最後になる国、中国に向かう。またいつものように切符を買うのに一 日がかりで並ぶだろう。言葉が通じなくても、現地の人は一生懸命やさしくしてくれ る。
“通じないからこそ”なのかもしれない。いつもちゃんと買えるかどうか心配でいる けれど、ここまで来ることができたのだ。この不安と緊張のくりかえしと、それによ って“出会う親切”にやみつきになっているのかもしれない。
(終わり)


番外編 不思議の国イスラエルです。

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