輝国山人の韓国映画
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1930年2月8日 ピョンヤン(平壌)で出生 本名:イ・サンヨプ 1949年 ソウル映画社研究生として映画界に入門 イ・ピョンイル,チョン・チャングンなどの監督の助監督として演出勉強をする。 1950年 ソウル大学校 歯科大学 中退 軍入隊 1956年 軍除隊 1959年 日本から帰国した若い制作者チョン・ホンシクと新人監督イ・ソンクなどとともに 韓国映画のニューウェーブを標榜して結成した新鋭プロダクションの創立メンバー 中の一人として,イ・ソンク監督の<若い表情>(1960)に続き,2番目作品<残酷 に殺せ>をデビュー作として準備したが,実際のデビューは,<この瞬間のために> (1961)となる。 1961年 <この瞬間のために> で監督デビュー 以後,<29才のお母さん>(1962など,7本の作品を監督した後,しばらく映画界 を離れる。 1968年 ベトナム戦前線を撮影したドキュメンタリー<トッコ・ジョンソン>を編集して, 再び映画界に戻る。 1968 第7回 大鐘賞映画祭 編集賞 以後,KBSへ席を移して教養ドキュメンタリーを演出する。 1971年 ABU-TV 特別賞(人間勝利:愛と博愛) 1975年 韓国放送大賞(私たちは証言する) 1979年 ABU-TV 大賞,NHK特別賞(人間勝利:声というのは何ですか?) 1990年 韓国放送大賞(ドキュメンタリー 朝鮮戦争)
1961年 1962年 1963年 1963年 1964年 1964年 1965年 |
この瞬間のために 29才のお母さん 虎の尻尾を踏んだ男 強情 地獄は1万ウォン チン峠紳士 逃亡者 |