輝国山人の韓国映画
<Home>へ

1921年12月20日 忠清南道 ソチョンで出生 東京美術学校に留学 卒業後,美術界で従事する。 1948年 イ・マヌン監督の<切れた航路>>で美術を担当 1954年 <アリラン> 監督デビュー作 韓国で最初に韓米合作で制作 両国の俳優が出演した反共映画 1955年 <ピアゴル>
監督 戦後,チリ(智異)山に根拠を置いて活動したパルチザンを 素材にした作品で,イデオロギーとヒューマニズムの間で葛 藤するパルチザンの姿を写実的に描いたという好評を受ける。 また,当時パルチザンを人間的に描いたという理由で反共意 識が不足しているという批判を受けた作品でもある。 1955 第1回 クムニョン映画賞/作品賞,監督賞 1956年 <撃退(私たちはこのように戦った)>
監督 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=Pewfjh5G4Ys 1958年 <生命> 監督 韓国初のシネマスコープ映画 1962年 <置いて来た山河>
監督 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=im9Y8DLkN8Y 以後,<死んだ者と生きた者>(1966), <大佐の息子>(1968)など,一連の戦争映画を相次いで監督した。 1971年 <他人になったあなた> 最後の演出作品 1971年2月10日 韓国映画関係者協会 監督分委委員長 公演倫理委員会 映画審議委員 監督引退後は,本来の特技である美術に没頭し,1981年には,東洋 画個展を開催した。 1993年9月 2日 持病で死去
| 1954年 1955年 1956年 1956年 1957年 1958年 1958年 1958年 1958年 1959年 1960年 1960年 1961年 1961年 1962年 1962年 1963年 1963年 1964年 1964年 1964年 1965年 1966年 1966年 1966年 1968年 1968年 1968年 1968年 1971年 |
アリラン[デビュー作] ピアゴル ![]() 撃退(私たちはこのように戦った) ![]() 白痴のアダダ 愛 美しい悪女 終末なき悲劇 ある人生 生命 [韓国初のシネマスコープ映画] 若い妻 青春の花園 愛の歴史 旅人 この瞬間のために 置いて来た山河 ![]() 無情 八剣客 洛東江七百里 首陽と白頭巾 私は騙された 美女と盗賊 生きなければならない(別名:へそ大監(テガム)) 南北千里 鶏龍山(ケリョンサン) 死んだ者と生きた者 大佐の息子 流星の剣 ある瞳 公山城(コンサンソン)の血闘 他人になったあなた |