私の名前はパイケアです

■クジラの島の少女■

映画の中には予算が乏しいと即画面の貧しさにつながるものも多いが,時には「映画ってそういうものとは違うところにあるんだなあ」と感じさせてくれる作品もある。俗な話題を忘れさせてしまう,作品世界に見入ってしまう映画,そういうものにぶつかると本当にうれしい。

ニュージーランド映画「クジラの島の少女」はそうした見事な作品のひとつだ。劇場公開を逃して以来ずっと気になっていたタイトルなのだが,最近ようやくDVDでじっくり見ることができた。いや,よかったねー,これは。

その澄んだ神話的な世界観とヒロイン役の少女の類い希な魅力にすっかり感情移入してしまった。

舞台はニュージーランド。現代まで長い伝統を受け継ぐマオリの族長コロに待望の孫が生まれる。だが,難産で生まれた男の子と母親は亡くなり,生き残ったのは双子の片割れの女の子だった。後継者としての男児のみを待ち望んでいたコロは落胆し,そんな父に息子は反発する。12歳になった少女パイケアは次代の族長としての資質を秘めながら,女であるがゆえに疎外されていたが……。

パイケアというのはかつてクジラに乗って海を越えてきたという一族の祖先たる伝説の勇者の名だ。それは本来女子に与えられる名ではないのだが,父に反発した息子はあえてその名を娘に贈った。もうそこで物語はたぶんこういう風に進むんだろうなと想像がつくし,また実際そうなるのに,安易な展開とかいかにもな演出などといった即物的な批評とは別種の感慨がある。

この物語の祖型とでもいったものは既に僕たちの中にあって,この映画はそれを揺さぶってくるのだ。神話はこのように成就しなければならない,という約束が果たされることの感動と満足感みたいなものだ。

とにかくパイケア役のケイシャ・キャッスル=ヒューズがすばらしい。彼女もまたマオリの女の子で演技の経験はなかったそうだが,完全にパイケアと同一化している感じで,彼女自身この先女優としてこのイメージと戦っていくのはたいへんだろうなと思った。すばらしすぎて「ミツバチのささやき」のアナ・トレントみたいにこれ一作ってことになりかねないかも,というのはまあよけいなお世話か。

クライマックスもいいんだけど,彼女に感情移入していると学芸会のスピーチのシーンで不覚にも泣けてしまう。女であることで敬愛する祖父に拒絶される悲しみと,それでも祖父を慕う少女の思いにたちまち涙腺が決壊しそうになる。DVDではちょうどチャプター25。

ケイシャは今年(2004年)のアカデミー主演女優賞にノミネートされていたが,もし彼女がオスカーを獲得していたとしても僕は断固支持するぞ。

それにしても,こういう映画を見てしまうとちょっとうらやましい気分になってしまう。自然に対するイメージがちんまりとやせ細ってしまったわが国では,畏敬や奇跡はすっかり遠いものになってしまったからだ。アニメーションは別だけど,日本の実写作品にはこういう気高いファンタジーが生まれてくる土壌がもうない。それが僕の誤解ならどんなにうれしいことかと思うが……たぶんそうではない。

クジラの島の少女 ASBY-5218
発売元(株)日本ヘラルド映画/アミューズソフトエンタテインメント