テルミン式バースデーケーキの浪漫

■テルミン■

世界最古の電子楽器テルミン。開発者であるテルミン博士と彼をめぐる人々を扱ったドキュメンタリー映画「テルミン」で,僕は初めてこの不思議な楽器を知った。

空間にかざした手を動かすことで演奏するテルミン。シンセサイザー以前の電子楽器の祖としても興味深い代物だが,なんといっても楽器に触れずに演奏するそのスタイルが実にフシギ。IT関連のデモなどで身体の動きで音や映像を制御するパフォーマンスがあるけれども,テルミン博士と彼の友人たちははるか昔にそれを先取りしていたのだ。

残っている映像が古いものだけに,未来的であるはずのテルミンの演奏はクラシックなSF映画のような郷愁に彩られている。今とは違う別の世界での未来。アナログサイエンスが主流のもうひとつの未来を,ある種の懐かしさとともにイメージさせてくれるのである。

テルミンの音色はまだ単音しか出せなかった初期のアナログシンセを連想させる。僕は昔ちょっとだけ単音時代のシンセをいじったことがある(夢はもちろん冨田勲だ!)のでこの音にはオシレーターの懐かしい響きを感じた。ちょっと鋸バイオリンのような音といったら俗に過ぎるかな。

それにしても不思議な余韻の映画である。何かどーんと感動的なものが迫ってくるわけではないけど,人生の苦さと豊かさ,国家権力の影と戦争の悲劇,天才の栄光と苦悩といった,まあありきたりな表現で申し訳ないが,そんなものが伝わってくる。

テルミンという楽器もその演奏も興味深いが,淡く痛みを感じるのがテルミン博士たちの若かりし時代のロマンティシズムである。

ロシア生まれの天才的物理学者にしてチェロ奏者というテルミン博士のキャラクターからして極めて浪漫的だ。その風貌も劇的だが,彼の工房を取り巻く人々との交流の様子にはサロン的,あるいは貴族的青春の薫りみたいな雰囲気が漂っている。現代の殺伐とした人生にため息をついている人にはうらやましさと切なさで胸が痛むだろう。

作中,テルミン最高の演奏家にして彼らのマドンナだったらしいクララ・ロックモア嬢の誕生日にテルミン博士が用意したバースデーケーキのエピソードが出てくる。それはテルミンと同じ原理で,近づくとローソクが点灯しケーキが回転するという仕掛けになっていた。

実際の映像も出てくるのだが,こういったちょっとしたお遊びにエネルギーを注ぐ貴族的なゆとり,恋心を秘めた大人の余裕みたいなものは今ではずいぶん遠い世界のものになってしまった。クララも言っている。「あの時代はロマンチックだったのよ」と。

DVDではチャプター4の13分17秒あたり。単体でもリリースされているが,2DVD+1CDのコレクターズボックスの方が断然充実していると思う。

年老いたテルミン博士とクララが再会するラスト,僕は何か無惨なものと人生を生き切った安寧のようなものとが入り混じったそんな感慨を覚えた。彼らの頼りなげな肩に,20世紀がいかに激動の時代であったか,そんなことまでふと感じてしまうのである。

テルミン コレクターズBOX AEBF-10100
発売元(株)アスミック