逝く美学

■サテリコン■

なんにも考えずに楽しめる映画もいいけれど,たまには歯応えのある映画にもトライしよう……なんて考えたわけではないけど,ふと気まぐれに取り出したDVDがフェリーニ監督の「サテリコン」だったりするとたいへんだ。偉大な監督の名のある傑作・問題作というのは頭がエンタメ路線に染まっていると歯が立たないほど難物なのである。

いやー久々に濃いもの見せられた気分だ。昔からおぼろげなイメージはあったから若いころに見ているのかもしれないけどあらためて「えれえもん作るなあ」と思ってしまった。

この空気,このぎとぎとした濃密さ,思えば今の日本人の風土ってずいぶんあっさり味なんだなと実感する。というより現代の映画界ではこうした映画ってもう撮れないだろうなあと思うね。巨匠がそのイメージの赴くままに芸術大作を実現できる状況というのは経済原則に食いつぶされつつある世界では生まれる余地がないのだ。

そのくらい今どきの映画からは隔絶した世界。実際のところデラックスで高尚な舞台を見ているような感じでストーリーを語ったりすることにはほとんど意味がない。見終わった直後でさえ「どんな話だったんだ?」と首をひねる人多数ってところじゃないかな。

見る側の観客だって全力で相対しなくてはならない映画というのはちゃんとこうしてあるのだ。少なくなったけどね。

退廃の極致であらゆる規範が乱れきった古代ローマ時代(らしい)を舞台に,一人の美青年の神話的放浪を描いた壮大な幻想,とでも言えばいいのだろうか。展開するいくつものエピソード間にどんな脈絡があるのか実のところよーわからんというのが正直な感想。きっと何度も見尽くしたフェリーニ信者に解題でもしてもらわないと永久に意味不明という部分も多々ありそうな映画である。

ただし,それが退屈かというとそんなことはなくて,目が離せない映像の力に引きずられて最後まで付き合わされてしまう。悪い夢でも見てしまいそうな,いや遠いいつかの日に見た悪夢そのものって感じか。

だから見終わっての第一声は「うーむ」というのが妥当かな。もちろん印象的なシーンはたくさんあって見た者同士の間ではきっと話が弾むだろう。個人的には中盤の貴族の自殺のシーンが好きかな。

権力者が替わってそれまでの地位から追われることになったとおぼしき貴族(たぶん)が,もはやこれまでと奴隷たちを自由の身にして解き放ち,子供たちを落ち延びさせ,最後に残った妻と二人で静かに自害して果てるというシーン。いかにも古典悲劇のような西欧文化の風格が漂っているシーンだと思う。うちのDVDではチャプター9。二人の横の孔雀がなぜか気になる。

チャールトン・ヘストンの顔が浮かんでくるようなハリウッド史劇は乾いたさらっとした手触りだけど,こちらは砂漠を描いていてさえもっとどろどろぬれぬれぴとんぴとんの世界。若いアメリカと年老いたヨーロッパの体質の違いがよくわかる。でもまあそれはまた別の話か。

サテリコン GXBS-15902
発売元(株)20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン