老人 vs 巨大カジキ

■老人と海■

いわゆる商業アニメと違って,アーティスティックな非商業的あるいは実験的なアニメーションには様々な素材が使われる。砂,ガラス,人形,ハンカチ,水墨画,折紙,粘土,ピンホール等々。それがまた多彩な表現を生み出してもいるわけだ。実際,その手の作品集を見ていると「おおー」と感嘆することしきりである。

アレクサンドル・ペトロフ「老人と海」は,誰もが知ってるヘミングウェイの名作の映画化だ。ペトロフはユーリ・ノルシュテインの後継者とまで言われるロシアの天才アニメーターだが,この作品を見れば彼のことを天才だ,真の芸術家だ,と賞賛する声にも素直にうなずけるだろう。

彼の作品は油彩タッチの絵画がそのまま動いている世界である。僕は以前「おかしな人間の夢」という作品で初めて彼の映画を観たのだが,これは衝撃的だった。

うっわあぁぁ……この絵が……動くのか!?

ガラスの上に指を使って絵の具を広げ,1枚の絵画を仕上げる。撮影する。描いた絵を消す。また1枚描く。撮影する……。この繰り返しで1本の作品を仕上げるのである。どんな素材を使おうともアニメーションというのは手間がかかるものだが,これはまた想像を絶する作業である。

ここで「絵画」と書いたが,彼の映画を観ればこう表現したくなる気持ちはわかっていただけると思う。1コマ1コマの絵としてのクオリティがすごいのだ。どの瞬間であろうと切り出して額縁に飾っておけるくらいすばらしいのである。余人にはとうてい真似できない境地だ。

さて「老人と海」である。ストーリーは誰もがご存知のとおり。映像があまりにすばらしいのでどの瞬間も見どころなんだけど,とりあえずクライマックスの老人と巨大カジキの対決シーンを挙げておこう。DVDでは特にチャプターは振られていないが,本編の14分11秒あたりから。

これをアイマックスの巨大スクリーンで鑑賞できた都心の観客がうらやましい。

同時収録の短いメイキング兼インタビューを見ているとその製作の様子がうかがえる。ちょっぴりだけどね。面白いことに,これほどプリミティブな手法でありながら,現代の映像作品らしくスタジオにはコンピューターが並んでいる。芸術家もまた時代とともに歩んでいるということか。

ともあれ,20分ほどの短編ながら,その映像のぜいたくさは優に超大作に匹敵する。こういうものが手元に置けるとはなんとまあありがたいことかと思う。もう素直にそう思う。天才芸術家の数年間の営為がここに詰まっているのだ。コレクターやマニアならずとも必携,必見の1本であろう。

老人と海 ヘミングウェイ・ポートレイト IMBA-0138
発売元(株)IMAGICA/パイオニアLDC