これがナイフだ

■クロコダイル・ダンディ■

昨日はシドニーオリンピック最終日だった。閉会式は今やすっかり恒例のお祭り騒ぎで,大がかりなアトラクションもなかなか楽しかった。特に後半はオーストラリア見本市という感じで自国の自慢のキャラクターたちを(脈絡もなく)かき集めた構成がちょっと笑えた。

その中で「おおっ」と思ったのはなんと「クロコダイル・ダンディー」まで引っぱり出してきたこと。

これはうれしかったな。だって本人なんだもん。あの主人公の扮装そのままに,ちょっと老けた感じのポール・ホーガンはダンディーその人のごとく,バカ騒ぎにちょっととまどっているような風情であった。うん,なんとなく納得。と同時に,昔楽しく見たこの映画の記憶が一瞬にして舞い戻ってきた。

自然の中に生きる主人公が大都会に現れ,自称文明人の連中の不浄をそのたくましい野生の力ではねのける……一種のスーパーマン物語だが,こういう展開はすこぶる気持ちがいい。実は自分がそういう存在でありたいという観客の心情をくすぐるのかな。

ディテイルの記憶はだいぶあやふやになっているのだが,主人公の飄々とした,でも戦いとなれば荒野であろうとコンクリート・ジャングルであろうと沈着冷静,しかも大胆で頼もしいというキャラクターは続編ともども楽しかった。パート3の企画中というのはホントだろうか。

さて,野生の男と都会の女の組合せとなると,都会の美女の華やかさや文化に目がくらむのは男の方,と思いがちだが,カルチャー・ショックはお互い様。ジャングルと大都市,ともに舞台となるのでそのあたりの交錯がなかなか面白い。ま,それでもこの映画の一番の魅力はダンディーその人のキャラクターに尽きるんだけどね。

でもってこういうのもカルチャーのぶつかり合いなのかな。僕の大好きなシーン。

ニューヨークにやってきたダンディーは若い男にナイフを突きつけられる。金よこせってわけだ。一緒にいたヒロインは「早く財布を渡して」とナイフにびびっているがダンディーにはそのわけがわからない。彼にとって,目の前のチンピラがかざしているちっぽけな刃物などナイフのうちに入らないからだ。

「あれがナイフ?」とおもむろに彼が取り出したのはバイオレンス・ジャックが使うようなどでかいナイフ。

これがナイフだ

と言ってチンピラの服を切り裂き退散させるダンディの頼もしさがまっこと快感だ。ヒーローってのはこうしてさりげなく,しかし隔絶した力を観客に披露する瞬間が必要なのである。やられ役がぶざまに退散すればするほど観客は快哉を叫ぶ。お約束の展開ではあるがこれもエンタテインメントの文法のひとつである。むろん,ウケるか否かは演出の腕次第だが。

僕の古いLDではサイド2の23分29秒くらいかな。ナイフひとつとってもワニを相手に格闘する男と都会のチンピラとではこれだけ「カルチャー」のギャップがあったわけだ。

シドニーオリンピックを通じて伝えられるオーストラリアの様々な姿を見ていると,なんかいかにもあの国の連中が喜びそうな映画だったな,とろくに根拠もないけど感じている。もう14年も前の映画だから本気でパート3を作る気ならポール・ホーガンが老け込まないうちにやってほしいものである。

クロコダイル・ダンディ SF078-1344
発売元(株)レーザーディスク