魔女たちの階段

■ハウルの動く城■

昔からごひいきにしてきた何人かの作家の最近作を読んでいると個性も作風も違うのに共通した傾向に気が付く。小説作法そのものに関係してくるんだけど,どうも年季が入ってくるとがっちりした構想や一般人が見かけの完成度と思っているようなものにはこだわらなくなってくるらしい。

自分の中にわき上がるままに書き継ぐことに重きを置いているという感じだ。結構をさほど重要視していないのでそこまで達観できない読者にはだらだらと書き連ねているように見えて「この作家はもうダメになった」と早合点して去っていく。実は自分の方が古いままなのかもしれないという可能性については考えもしない。

この構図は映画にも見られるんじゃないかなと以前から思っていた。たとえば宮崎アニメ。批評家を生業にする人たちでさえいまだに「カリオストロの城」から先へ行けない者その数知れずだ。創作する人間とひとコマのフィルムも作らない,作ろうとしない人間の違いがここにある。作る側の人間は前と同じことはしたくないのにね。

前置きが長くなったけど「ハウルの動く城」を見ていると千尋以上にそういうことが感じられてちょっとにやにやしてしまった。宮崎監督はもう決して昔のやり方には戻ってこないのにまだ古い夢にすがっている人は多かろうなと。決して皮肉ではないつもりだけどそんなことを考えてしまった。

でもやっぱりDVDでじっくり見た時の方がわかりやすい映画だとは思ったね。劇場で見て「ん?」と思っていたところも今度はなるほどと納得できたし,これは多分に画面の見通しにもよるのかなと思った。僕は目が悪いので大スクリーンの,しかも家庭よりずっと光量不足の画面では見切れない部分があるのだ。そこにもホームシアターの利点のひとつがある。

見ていていちばん感じるのは手作業の贅沢さみたいなリッチな味わいかな。テレビアニメの粗末な作画にうんざりしている身には冒頭のハウルとソフィーの空中散歩のシーンだけでもうれしくてねえ。どこが好きかと言われたらまずはこの部分だけど,名場面ということでならやっぱりあの王宮の階段をソフィーと荒地の魔女が登っていくシーンだろう。

劇場でもいちばんウケていたシーンだし,実際ここはおかしい。荒地の魔女がどんどんぐにゃぐにゃになっていく姿につい吹き出してしまう。ソフィーは彼女にそうとう恨みがあるはずなのに年寄りの強さ図太さか,ここではもうその感情を超えてしまっているのがいいね。DVDではチャプター12の55分49秒付近からかな。

個人的には本職の声優さんを使わないやり方にちょっと反発するものもあるんだけど,木村ハウルは適役だと思う。倍賞ソフィーはかなり微妙だけどもう慣れてしまって逆に今さらほかの人の声で聞かされても違和感があるだろうな。神木隆之介君にはたいしたもんだなあと感心。

サリマン先生の前でソフィーがハウルの弁護をする場面で,姿が若くなっていくにつれてソフィーの声もちゃんと若くなっていくのがはっきりわかるのはなんだか「いいな」と思ったな。

ハウルの動く城 VWDZ8076
発売元(株)ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント