ピアノ逆さま弾き

■アマデウス■

正直に告白するが,僕にはモーツァルトの良さはいまいちわからない。美しいとは思うが,好みをどうこう言えるような日常のレベルを超えたスキのなさ,完成度の高さが第一印象としてある。天上の川を流れる清流とでも言おうか。

ラヴェルやドビュッシーやストラビンスキーといったカラフルな曲の方が僕は好きなんだけど,それはきっと彼らの曲が明瞭に肉体や物質を感じさせる,より地上に近い音楽だから……そんな風に感じている。

まあ,そんな自分の好みはさておいて,最近ディレクターズカット版のDVDが出た「アマデウス」は映画好きなら必携の一枚である。普段はこういった題材を退屈に感じる人でも,ここまで濃厚に作り上げられた映画の空間にはある種のぜいたくさを満喫できるはずだ。

オリジナルは84年頃の作品だから,もう20年(今は2003年2月)になるのか。最初に見たのは初期版LDの頃だから少なくとも15年以上はご無沙汰だったことになる。地上波洋画劇場レベルの古いLDとは段違いの最新DVDはさすがにすばらしかった。ありがたい時代になったものである。

ディレクターズカット版はオリジナル版より20分ほど長いのだが,僕にはどこがどう違うのか全然わからなかった。そもそもこんなに間が空いてはディテイルなんて忘れてるものだしね。3時間を退屈せずにじっくり楽しめたことは確かである。

さて,この映画では凡庸なるサリエリと超天才モーツァルトの対比が特に印象的だ。そして我々にはサリエリの反応や心理はいたってよくわかる。才能はないのに天才を理解する能力はあるというのは凡人にとってはあまりに辛い。

才能や能力はその器(人間)とは無関係なのだという実にシビアな現実。人間はそういった不公平に対する嫉妬を抑え難くて,時に神さまを自分たちの都合のいいように解釈し,また社会制度や人権思想などの理念を育てることで懸命に"平等"を実現しようとしたのかもしれない。もちろん神さまはそんな欺瞞など無視なさるのであるが。

作中にはモーツァルトの非凡さを描いたシーンがいくつも登場する。特に作曲と楽譜にまつわるエピソードなどは「さもありなん」と感じさせてくれるのだが,僕にとって初見の時から印象的だったのは,彼がパーティーの場で逆さまの体勢でピアノを弾くシーンだ。

仰向けの姿勢で身体を支えられ,左右の手を逆に動かしてピアノを弾くモーツァルト。映画的なハッタリかもしれないが,実に効果的で,おお〜と思ったことを覚えている。チェンバロみたいな音だけどあれが当時のピアノなのか。僕にはその方面の知識はさっぱりだが,あれがフォルテピアノというやつなのかな。

DVDではチャプター22の84分10秒あたりから。メイキングによると指の動きはでたらめではないそうである。相当練習したんだろうなあ。映画の中でスペシャリストを演じるのはたいへんだ。見る人が見ればごまかしは一目瞭然だから成功はこだわり具合にかかっているのだ。

もうひとつ,久しぶりに見て懐かしかったのはあの「ヒャハハハハハ」というモーツァルトのけたたましくも軽薄な笑い声だ。そうそう,こういうやつだったんだよなあ。

アマデウス ディレクターズカット スペシャルエディション DLW-36218
発売元(株)ワーナー・ホーム・ビデオ