[Home] [ぷりちーもくじ]

その6
永遠のスタンダード(笑)

  

彼女の歴史は長い.彼女はレプリカだけれども,この原形となるものが形になったのは,古墳時代のことだ.彼女を古墳の副葬品として埋葬したということは,古墳の時代から日本人にはこの愛らしさを愛でる心があったことの証である.ということは,私のぷりちー魂は日本人に流れる血の中に1500年以上も昔から脈々と受け継がれてきたものであるのは間違いない.ぷりちー魂とは,実は日本人の遺伝子に刻み込まれた記憶なのだ.と訳の分からない説をぶち上げてもこれを読んでいる人のうち半数位からは同意を得られそうだ.
埴輪の愛らしさを語るにはみうらじゅん氏について触れねばならないと思われるが,ここにはその資料がないので,あえて割愛させて頂くこととする.

わたしは,これを宮崎市内の平和公園の埴輪園の売店で手に入れた.大学を卒業した年のことだ.同じ学科にいたけど,今では連絡の途絶えてしまったもりたまちゃんと宮崎までドライブがてらサボテン公園まで行ったついでに,平和公園の埴輪園へ寄ったときに買ったものだ.この歌い踊る埴輪と人気を二分するのが,埴輪の馬だが(断定),馬の方は今ここにはない.これと一緒に買った記憶はあるので,恐らく実家に置いてあるのだと思う.
宮崎平和公園の埴輪は,同宮崎県内の西都原(さいとばる)古墳群から出土したもののレプリカという事だったと思うが,これもまたよく覚えていない.
平和公園自体についてもこれまたあまりよく覚えていないが,確か「はっこういちう」の記念碑が立っていたような記憶がある.「八紘一宇」でどこが平和か?と今気が付いたが,この問題はつきつめないでおくことにする.問題の埴輪園の方はどうかというと,確か南国の木々がうっそうと茂る回遊式公園になっていて,あちこちにレプリカの埴輪が配置されており,埴輪はいい具合に苔むしていたのを覚えている.埴輪の並べ方が私達の笑いのツボにはまり,もりたまちゃんと大笑いしながら散策した.そして,確か埴輪が林立している中で記念写真撮影をしたのだった.あの写真は今どこにあるのだろう.
それはさておき,埴輪はお土産に大人気で,私達が売店を訪れたとき,どこから見ても観光客の夫婦が庭置き用の埴輪を買い求めておられるところだった.売店の人は「あまり大きいのよりも少し小さ目の方が落ち着きますよ.」とアドバイスしておられた.埴輪公園を見た後,公園内に設置してあるものと同じ大きさの埴輪を買い求めた人が,大きすぎたと言ってくることが多いのだろうと思った.そして,売店の人は「いい具合に苔むすのには結構時間がかかりますよ.」とも話しておられた.それで,わたしは「そんなの庭の日陰に置いて,1週間ごとにハイポネックスの1000倍液をかけていたら,あっという間に緑色のものが生えてくるんじゃないか?」と思ったけれどもその頃はシャイだったので声をかけなかったのだった.
また,こっちもどうでもいい事だが,福岡のアメリカ合衆国領事館の庭にも埴輪が並べてある.これは大濠公園側の警備ボックスのある側から観察できる.これらの埴輪はアメリカ合衆国領事館関係者が埴輪を買い求め庭に設置したものと推測されるが,どーゆー理由で庭に埴輪を設置しようと考えたのか,考古学マニアだったら分かるが,もし,日本情緒を求めて埴輪を設置したのだったらそれは大きな間違いであると言わざるを得ない.埴輪はあくまでも古墳に埋葬されたの死者のお友達というか僕であって,フジヤマゲイシャスシテンプラの日本像とは相容れないものだからだ.まあ,それでも領事がいいというのなら私は何も言わない.アメリカ人にも埴輪の心が伝わったということにしておこうか.


実は,今一戸建てに住んでるのだが,その家にもこいつがいたのであった..ということで,埴輪は増殖することが判明したのであった.武人なヤツまでついてきたり.まあ,いいけど.埴輪って全体的にぷりちーだし.(2002.04.25)

                
[ぷりちーもくじ]
Copyright (c) Harada,2000
All Rights reserved