女ひとり世界一周&子連れバックパッカー放浪記 (マガジンID:0000122139)
メールマガジン登録 ---------------------------------------------------------------------------------- ●はじめまして。久米美都子です! ■自己紹介■ 海外旅行が自由化された年、1964年生まれの39歳。夫と8歳と5歳の男の子の4人家族です。福岡市在で、 夫と一緒に経営コンサルティング会社を営みながら、旅のエッセイを書いたり、一般旅行業の国家資格の講師 などをしています。旅との出会いは21歳の時で、それ以来約60回、30数ヵ国を放浪しました。ほとんどは貧 乏旅行です。10年前には133日間“人生を考える”世界一周を、そして今は、年に2回ペースで子連れでバッ クパッカー旅行をしています。 <一人旅から子連れ旅へ> 女ひとりの世界一周に行ったのが29歳の時です。当時、人生に挫折して人間不信になり、やぶれかぶれ? で思いつき、カネなし、語学力なし、知識なしで日本脱出しました。で、当然、あらゆることに翻弄さ れ、人生とは・・?、生きるとは・・なんぞや?、と考えさせられ、内なる自分と対話し、ひとつの答えを出 しても戻ってきました。「もう一度日本で頑張ってみよう。人間を信じてみよう」と。 その後、急に?結婚、出産。世界一周以前は年に2、3回は旅に出ていた私でしたが、現実上、旅に出られ なくなりました。また長男出産と同時にダンナが脱サラ。会社を手伝いながら、育児にふりまわされながら 旅は絶対続けるぞ!、じゃあどうすれば今迄のように自由な旅ができるのだろうか、と考え始めました。 最初の子連れ旅は長男が生後5ヶ月のときにグループで韓国。次が二男妊娠中に、激安ツアーでマレーシ ア。そして二男が誕生しました。その二男が生後8ヶ月の時に、長男も置いて単身ミャンマーへ。この時はさ すがに子供2人連れていく勇気はなかったんですね。どうしたかというと、長男は保育園に朝7時〜夜10時ま で預かって貰い、次男は実家の母に預かって貰いました。そこまでした行くか〜!!ってカンジですよね(笑)。 でもこの旅で、私はたくさんの元気な子供達を出逢いました。で、思ったんです。ひとり旅は楽しい、しか し置いてきた子供の様子は気になってしょうがない、まわりには現地の子供たちがいっぱい。これは子連れで 行けば現地の子供と一緒に遊んで楽しめるはず!と。 そして、いよいよ子連れバックパッカーデビュー。2000年3月、長男4歳、次男が1歳11ヵ月の時です。 その時がフィリピン、その後ベトナム、タイ3回、韓国3回。少しずつですが、コツがつかめてきたところで す。 <旅の原点> 私の最初の海外旅行は、21歳の時で、総勢300名の団体で行ったアメリカ西海岸でした。レンタルしたド でかいスーツケースに、ハイヒールまで入れていった超おのぼりさん旅行。しかし、添乗員さんが何人もつい ているこの、安全で快適なお気楽旅行に、ある落とし穴が待っていたのです。そして、それがこれからの私の 旅の原点になろうとは、もちろん、当時は知る由もありません。 で、なにが起きたか・・。 実は迷子になったんです。ところはラスベガス。オプショナルツアーで、夜の町ラスベガス散策後、高級 ホテルの最上階にあるラウンジで、美しいベガスの灯りを見ながらカクテルを飲む、という内容。で、その散 策中、きらびかやなネオンの渦の中で写真なんぞを撮っておりましたら、え!バンがない!。そう、置いてけ ぼりをくったわけです。 たった10人程度のオプショナルツアー。しかも日本から一緒の添乗員がいたにもかかわらず、バンは私 と友人を置いてどこかへ行ってしまったわけです。 さて、それからどうしたか・・。 私も友人も英語がしゃべれない。現在地がどこなのかもわからない。泊まっているホテルの名前すら覚えてい ない。時刻は夜の10時すぎ。私たちは怒りまくり、そして途方に暮れるのです。 結局、バンを駐車していたカジノ場のたくさんの人のお世話になり、タクシーでホテルへ戻ることができた のですが、腹が立つやら、悔しいやら。カネかえせーと思うやら。 夜中の12時すぎ、ホテルの部屋に1本の電話がかかってきました。そう添乗員の人から。「よかった、 戻ってきていらっしゃいましたか・・」と安堵の声。 この添乗員さんとは、今でも交流があるのですが、この1件は大変な問題になるところだったそうです。 一緒だった友人は「許せん!」とひたすら憤慨していたのですが、私にはその気持ちと同時にもうひとつ感じ るものがありました。それは、困ったからこそ出逢った現地の人たちの温かさです。冷静さを失って、言葉も わからない私たちに、一所懸命に親身になってくれた人たちの優しさが本当に有り難かったのです。 のちに、この体験は私にとって、原点になりました。困難の中に光り輝く出会いがある、人は困難を超えて 大きくなる。途方に暮れる経験が生きていく根っこを育てる。今はそう思っています。 世界一周に行くことになったきっかけは、人間関係の挫折と前に書きましたが、当時はなにもかも失ったと 思っていました。29年間も生きてきて何やってるんだ、と自分を責め、これから先何を信じてどう生きてい けばよいのか、全くわからなくなっていました。でも、それがあったから、世界一周に行けたんです。人生は 何がきっかけになるかわからないもんですね。 “旅と人生”、そして子連れ旅の究極の?コツを書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いしま す! <インドを目指す> 来年1月5日〜15日まで、インドへ行ってきます。もちろん子連れです。当初はダンナもインドなら一 緒に行く!と言っていたのですが、1月8日に仕事が入り、ダンナは9日に出発することになりました。なの で、別行動で、12日にカルカッタの安宿で落ち合う予定です。 子連れになって、私はちょっとした目標を持つことにしています。フィリピンではストリートチルドレン に会うために、ベトナムではストリートチルドレン支援施設「子どもの家」訪問、タイではミャンマー国境の 難民が住む村へ、韓国は、モッポ共生園訪問。ここは戦時中の韓国で、韓国人男性と結婚した女性が3万人の 孤児を育てた孤児院です。 そして今回は、マザーハウスでボランティアすることと、前回(1992年)バラナシでとても良くして貰っ たリキシャの運転手のフロスカム家族を捜すこと。 (フロスカムとの出逢いは http://www.hf.rim.or.jp/~kaya/hint14.html http://www.hf.rim.or.jp/~kaya/hint15.html に出てきますので、よかったら読んで下さい。) 当時の写真と、英語で書いて貰った住所だけが頼りです。フロスカムは英語は話せても書けないので、わざ わざ英語がわかる人に書いて貰ったワケですが、今となれば、ビンズー語で書いてもらっとくんだった なぁ・・・と思います。 まあ、会えるかどうかは全く自信ないのですが、目標を持つことによって、いろんな出逢いが今回もある んだろうと思います。実は今から少々キンチョーしています。 <子連れ旅のコツ> 基本的に、女一人旅も子連れ旅もコツは一緒です。子連れ旅はそれプラス、自分だけでなく子供を守らな くてはならない、ということが大きな違いです。迷子や事故やケガや病気などいろいろ気を使うことがありま す。今は8歳と5歳になり、大分ラクには なりましたが、4歳・1歳の時のフィリピンのマニラは、ヒモでつないで歩きましたよ。日本と違ってアジア の国々は車優先で、横断歩道もあまりないこともあり、人混みではぐれてしまわないようにです。この“ヒ モ”には、ボストンバック等の取り外しできるショルダー部分を使いました。子供にはゴムのサスペンダーを させて、そのサスペンダーと自分の腰のベルトをつなぐんです。手はつないでいてもはずれることと、私の両 手がふさがらないようにするためにもいいんです。子連れは子供に一番の注意を払わなくてはならないので、 他のことは、ちょっとした工夫をすることでスキをなくすようにしています。 次には旅する格好。これはとても重要で、一人旅の時も同様ですが、全体的に言うと、ダサークまとめる んです。もちろん、行く国によりますが、狙われたくないなら、現地の人よりちょっとダサめがグッド。ボロ ボロ、きーたなくする必要はないですが、ハデな化粧や高級時計、アクセサリーは絶対していかないこと。な るべく反感を買われない格好することが、狙われないコツです。 もちろん、失敗談もたくさんあります。それらの中から学んだことを書いていきたいと思います。 よろしくお願い致します。 |