働く子供、路上の子供(1)
〜ドキュメンタリー映画「忘れられた子供たち」〜


私がこの「忘れられた子供たち」のホームページと出会ったのは、マニラ子連れ旅を終えたあと。ストリートチルドレンと呼ばれる子供たちのことを、無性に、知りたいと思っていたときです。
なぜか、というと、私達はマニラで、それらしき子供たちがいたにもかかわらず、乞われなかったからです。また、映画の舞台が、1989年、マニラ市の北、トレドというスラムの中の“スモーキーマウンテン”と呼ばれる、巨大なゴミ捨て場だったからです。トレドは、私達のような観光客が、決して近づいてはいけないところでした。

ホームページには、この映画のあらすじ、クランクインが決まった“ゴミ捨て場と障害児と家族愛”をテーマにした2作目の寄付のよびかけ、撮影日記等が載せられています。私は、どうしてもこの映画を見たいと思い、寄付をして、ビデオを頂きました。

映画は、1日に300台のトラックが、都会のゴミを吐き出すというその場所で、子供たちが“笑顔で”“無邪気に”遊ぶ姿に始まります。
ゴミ捨て場になって35年経つそこは、あらゆるものが腐って悪臭を放ち、メタンガスが発生し、自然発火しているゴミの山。この周りに、2万1千人が不法占拠し、小屋をたて、ゴミを拾って転売して暮らしていました。そして、たくさんの子供が、大人たちに混じって、生きるために、家族のために、ゴミを拾っていました。少女が、ゴミの中で見つけたボロボロの本を、まるで宝物を見つけたかのように必死に見入る姿が、瞼を離れませんでした。ゴミの奪い合いがしょっちゅう起き、死んだ人間の足や、動物の死骸をも転がる中、子供たちはコツコツとゴミをあさり続けるのです。

主人公のひとりは、12の時から1人で生きてきた18歳の青年です。彼はこの場所で、16歳の女の子と恋をし、結婚します。しかし、生まれた子供は、血液の病気。ゴミ拾いでは治療代が払えず、血を売りに行きます。でも、やせ細った彼の体は、売血可能な体重に足りず、どんなに頼もうとも血を取ってもらえないんです。

もうひとりの主人公、13歳の少年は、父親が亡くなって以来、学校を辞め、ゴミを拾っています。体が小さい彼には、ゴミの山では多くを拾えず、違法行為とされている、街に出てのゴミ拾いをしてます。彼は、ゴミ拾い以外の仕事をしたいと、探し頑張るのですが、自分1人が食べるのがやっと。それでも、いつか母親にあげたい、と貯金箱に小銭を入れ続けるのです。

一方、知恵遅れの7歳の弟が行方不明になりました。翌日、無事発見されてほっとするのですが、彼は、誰かに清潔なシャツを着せて貰い、小銭を握らせて貰っていました。人のことにかまってはいられない極限の状態なのに、みんな、家族や仲間や周りの人を思いやり、一生懸命生きている・・胸が熱くなりました。

  今も失業者があふれるフィリピン。生きるために、ゴミを拾うしかない人が現実にいるのです。1つでも多くゴミを拾い、1ペソでも多く稼ぐためには、学校を辞めざるをえない子供たち。学校を出ていないと言うことは、大きくなっても仕事にはなかなか就けないのです。3度の食事さえもマトモにとれずに、体はやせ細り、衛生環境の悪さは、抵抗力の弱い小さな体を蝕む。悪臭や吐き気に耐えられるようにシンナーに手をつける。そんな少年少女が成長し、恋をして結婚、そして子供が生まれる。障害を持った子供が多く生まれているんです・・。

私は、今まで出逢ってきた路上で働いていた子供たちを、次々と思い出していました。花売り、ピーナッツ売り、靴磨き、タバコのバラ売り、体が不自由な子供を、見せ物にして乞う別の子供。車道をウロウロして、止まった車に飛びついて乞う子供・・。目を背けてきた光景も蘇りました。彼らがどんなに必死だったのか、どんな思いでいたのか・・。私は、彼らをとても愛おしく思え始めていました。

           

トップページに戻る
メールはこちらへ!