旅と人生(2)〜1足のくつの教え〜


 ギリシャで受け取った般若心経の本は、人間関係に挫折し、自分を見失った心に、変化をもたらしてくれました。ギリシャから南イタリアへ渡る船で、オーストリア、ハンガリーへと進む列車で、私は1頁1頁、かみしめるように読み続けたのです。
 旅に出てこの3ヵ月に在った出来事が、走馬燈のように駆けめぐりました。順調な出来事だけでは物足りなかった事実。無我夢中の時は忘れられても、ひとりになると頭をもたげてくる後悔と苦悩。困難に遭ってこそ心にしみた人の温もり。充実の反面にあった肉体的な疲れ。何のために旅を続けているのか、という葛藤。このままでは帰れない、という焦り。それらがあったからこそ、1冊の本がこんなに心にしみ渡る・・。すべては、私に必要だった、と思え始めました。

 9月の終わり、列車は、大好きな街ハンガリーのブタペストに到着しました。ここにきた第一の目的は、ロシアビザを自分で取得すること。当時は、旅行社でホテルや観光の手配をしないと取れなかったのです。
 翌日、私は安宿の情報ノートにあった1年前の方法を試みることにしました。それは、モスクワのあるゲストハウスに、FAXでインビテーション(招待状)を作成依頼することです。その受信を、高級ホテルのビジネスセンターに頼んだ帰り道、私は足のウラの鈍痛に歩けなくなりました。休めば治るだろうと思っていたら、翌日はかかとも足首も痛くなりました。そして、私は初めて靴底とまじまじと対面するのです。それは驚くほど、うすっぺらーにすり減っていました。これじゃあ・・と思いました。それにしても、何度も自分の手で洗っていながら、よく気づかなかったものだな、とあきれました。歩き通しですから、消耗は早くて当然のことです。ちょうどいいことに、ここは物が安くて豊富な街。買えばいい、と思いました。
 しかし、すぐ反対の考えが頭をよぎるのです。
“まだ履けるのに・・この靴捨てちゃうの?”
靴は日本から履いてきたスニーカーでした。短期の旅行だとスポーツシューズを履くのですが、今回は洗うことを考えて、洗いやすく、すぐ乾く、この靴にしたのです。選択は大正解でした。でも、その便利さも当たり前になっていたのです。この場になって急にいとおしくなってきました。苦労を共にした友達を失う、ような寂しさ。離したくないと思いました。しかし、足の痛みは“現実”なのです。

 鈍痛を抱え、翌日、その翌日も、モスクワからの返事を期待して、ビジネスセンターへ足を運びました。しかし返事はなし。そんな中、私はセール中の靴屋さんの前を通りがかります。引き寄せられるように入ると、1足の靴を手に取りました。
軽い・・。
さらに履いてみて驚きです。こんなに弾力があってフワフワしてるのか、と。値段を見ると約千円ほど。しかし、私は靴を棚に戻し店を出てしまいました。
 あきれます。現実より、過去の方を大切にする自分を目の当たりにしていました。旅するのに重要な“足”にこんなに支障がきているというのにです。余計な背負い込み、過去への執着心、囚われ・・本の中に出てきた言葉が私を突き刺しました。だから私は、大切な人間関係をダメにしてしまったんだ。過去の良き思い出にしがみついて、現実から目をそらし、逃げてきたのだと、思い知りました。

   翌日、靴を買いました。その翌日、あきらめかけていたモスクワからの招待状が届きました。この国でビザが取れなければ、ポーランドやバルト3国に行くつもりだったのです。でも、このままロシアへ入れる・・、それは早く日本へ帰ってやり直しなさい、というメッセージのような気がしました。

  宿に戻ると、1ヶ月も滞在していた原田さんが、荷物をまとめていました。
「出発するの?」「うん、明朝早いんでね」
彼の背中からいつもと違う緊張感が感じられました。 この共同部屋で、たくさん語り合った日本人たちは、ひとりづつ旅人の顔に戻って旅立っていきました。空いたベッドには新しい客が来て、また新しい出逢いが生まれるのです。そして明日は原田さんの旅立ち・・。
 3日後、私の番がきました。
<今まで、私と歩いてくれてありがとう>
私は、靴をドナウ川縁のゴミ箱に捨て、晴れ晴れとした気持ちで駅へと向かったのです。  

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