心ゆたかな国 ミャンマー(2)〜始まりは“ニニ”〜


 “ニニ”と会ったのは昨年12月1日。台北からヤンゴンへ向かう飛行機に乗り込んだときでした。座席を探す人々でごっちゃがえしの中、なぜか・・ずっーと向こうにいる女性と目が合ったのです。なんとなくほっとする顔立ちのひと。
少し経って、その女性は私のほんの近くにやってきました。まあ・・偶然ねー、私アナタのとなりよ、と言うような笑顔で。
「アー ユー チャイニーズ?」彼女は聞きました。
「いいえ、日本人です」
そう私が言うと、彼女の目は丸ーくなって、
「オー! ジャパニーズ!?」
と驚きの声。彼女は、バッグから1枚の紙を取り出しました。
「スシ!スシ!」
それは、お寿司の写真がデーンと入った名刺。
「私の仕事!アメリカでね。」
「へえ、ほんと・・」
「ボスは日本人よ。名前は“イチ”。すっごくいい人なの。こんなところで日本人に会うなんてウレシイわ!」と。
 彼女の名前はニニ。45歳。夫と子どもと3人で、ミャンマーからアメリカに移住したのが12年前。子どもは今大学生。休みがなかなか合わなくて、今回は自分だけの里帰りなのよと。
 「おスシ、握ってるの?」
「そうよー。日本食、好きだわー。テンプラもスキヤキもね。私は日本に行ったことないけど、身内にはいるのよ。いつか行ってみたいわねー」
ニニの話を聞きながら、抱いていた鎖国的なイメージが吹き飛んでいました。

 「ところで、ミャンマーにお友達がいるんでしょ?」
とニニ。
「ううん」
「えー! じゃあ、アナタひとりっきり?」
ニニの目はみるみる丸く・・。
「ホテルは?」
「着いて探そうと思って」
「まあ・・」
ニニはますます心配そう。そして、そうだわ!と手をたたきました。
「私と一緒に行きましょう。それがいいわ。空港に私の家族が迎えに来てるから、ねっ!」

 ヤンゴンに到着したのは、ほぼ定刻の午後3時半。ニニは早速、私の腕を取って、“さあ、アナタはここね”と外国人の列を指さします。
「審査が終わったら、そこで待っててね。どこにも行かないでよ、必ずね!」
そして彼女は、一番奥の誰も並んでいない審査台へ。不思議に思って見ていると、審査官がやってきて、なにやら話し始めました。
私の審査が終わると、目の前に現れたのは、個人旅行者に義務付けられている強制両替の張り紙。金額は300米ドル。実はミャンマー行きを迷わせたにっくき?理由でもあり・・。庶民の物価に合わせて旅をしたいのに、どうやって使うのやら・・。
 ターンテーブルからニニのでっかいスーツケースをピックアップすると、いよいよ外。たくさんの女性達のお出迎えです。ひとしきり抱き合って挨拶をかわすと、ニニは私の腕をとり
「彼女はミツコ。日本人。飛行機で隣だったのよ」
と紹介しました。
「ミンガランバー!」
私の口からは、教えてもらったばかりの“こんにちわ”。みんな“うんうん、よく来たわねえ・・”と優しい視線を注いでくれました。そんな中、
「まあ・・日本人なんですか・・」
懐かしそうに目を細める女性がひとり。突然の日本語にびっくりする私に、ニニは笑っていいました。
「ソーサンダリンよ。ほら、さっきの話のねっ」
 「日本にいたの?」「ハイ。2年。トーキョーに」「お腹大きいのねー」「もうすぐ7ヶ月です」
 詳しい話をする間はないままに、迎えの一行は2つに分かれ、私はバン、ソーサンダリンはもうひとつの車へ乗り込みました。そしてバンはまっすぐ家・・じゃなくってパゴタへ。さっすが仏教の国です。
ニニ家は、古いけれど大きな家でした。そして、奥から家族が出てくる・・出てくる!
「ミツコ、こんな家だけど、アナタがよかったら、ここに泊まって」ニニは言いました。

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