私もインドで目が覚めた(7)〜やっぱりインド・・最後までヒヤヒヤは続く〜


 日本に行くにはやっぱ結婚だ!、と再認識した彼は、
「今日はもう到着するの遅いから、明日、もう一度ふたりっきりで会って話そう」
と、あくまでもねばる、ねばる・・。
「明日は、ずっーと予定があるのよ」
「じゃあ、朝早くにしよう!朝6時にでも?」
(なにぃ・・朝6時だって?!もー)
「疲れているから、そんなに早く起きれないわ」
「じゃあ、起きれたら、来て! ボクはいつも朝早いからかまわない。待ってるよ」
と大きな目で訴える彼。
(アナタがかまわなくてもねえ・・私はかまうよぉ!彼は決して悪い人ではないし、彼なりに真剣なんだってこともわかる。でもちゃんと・・ビシッと言わなくては・・ビシッと)
しかし、こっちは一所懸命ビシッと言ってるのに・・言ってるのに、彼は、
「わかった。でも、もし起きたら来てね」
って微笑むのでした。

 私が参加したこのアグラ観光は、早朝から夜まで、丸1日ツアーで、250ルピー(当時1250円)。路線バスと違って、車両もまあまあ。インド人と一緒に旅をするのはなかなか楽しいものです。ガイドさんはヒンズー語オンリーだったのですが、乗客のみんなが私に気遣ってくれ、かわるがわる通訳。また、生活習慣の違いや宗教への思い入れなど、いろんなことを知る機会になりました。
 土産物屋も相手がインド人なので、日本人相手と全く違い、ぼったくりはないし、見せる物から違います。安くていい物、たくさんあるのですね。それに物の相場を知るのにいい機会。もし最初にこのバスに乗っていたら、もっとカシコク旅ができていたかもなあ・・と思うのです。
 大都会デリーは、私に、あと3日あったらなあ・・もう少し居たいなあ・・と思わせてくれました。それは、客引きやリクシャのおやじ、土産物屋なんかも、アッサリした感じを受けたからです。まあ、ターゲットが多ければ、ひとりにまとわりつく必要ないのですよね。しかし、帰国は翌日。心を残して発つ・・ことになるのでしょうか? ところがどっこい、そんなにインドは甘くはなかったのです。

その日、空港へ向かうのに、マトモなオートリクシャ(オート三輪の後部を2人がけの座席にしたもの)を探していました。どれもボロだけど、少しでもマシなやつ、メーターが動くやつをと。
「デリー国際空港まで、行ける?」
「もちろん」
空港までの相場は、タクシーで150ルピー、オートリクシャなら、50ルピーぐらい。
「メーターで走ってくれる?」
メーターで走ってくれるなら、それがベスト。30ルピーですむかもしれない・・と計算する私。
「うんうん、もちろんだよ、さあ乗って乗って」
と微笑む運転手。んーちょっとうさん臭いが、まあ、こんなもん? メーターは新しそうだから。さあ、出発。ぼったくられないゾー・・と心を引き締める私です。
 しかし、約束なんて、あってないのがインド!
「空港は遠いねえ。100ルピーで走ってやるよ」
と早速。そーらきたきた!
「メーターで払うよ。さあ走った走った!」
「いやだ!100ルピーくれないと走らない」
とすねて止めるフリ。
「なら降りる。バイバイ」
あっさり降りようとすると、慌てて走り出すおやじ。
そんなこと飽きずに繰り返し、ようやくおやじはまともに走り始めます。しばらく経つと、歩く人もいなくなり、乗用車だけがシュンシュン走り抜ける、大きな道路にさしかかりました。
 と・・その時です。プッスン・・・
何ともカヨワキ音を残して、エンジンが止まったではないですか!
「どーしたの?」
「あれぇ・・動かない・・。ブッコワレたのかなあ」
こ、困る、こんなところで・・。だって他に乗り換えようがないではないか・・、タクシー1台も見かけないし。 (続く)

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