インドで私も目が覚めた4〜いつもキケンととなり合わせ〜


 インドは私にいろんなことを教えてくれました。そのひとつ、イスラムのタブー。そして、不安や迷いとの戦い。自信のなさは、すぐ安易でラクな道を選ぼうとするからです。楽しいばかりでない、ひとりであることの裏舞台を今回はお伝えします。

 「サリー織ってるとこ見に行く?案内するよ」
とフロスカムの弟。彼らの家は、イスラム人の居住区にあります。そこからほんの近くの工場に出かけたとき、あの事件は起きるのです。
 フロスカムと一緒に歩いた時と、様子が違うと感じたのは、歩き始めてすぐのこと。路地の端っこに座り込んでいた若い男の子が、私達の後ろに、ひとり、ふたりとつけてきます。それはすぐ10人、15人と増え、20人近くの行列になりました。
 ふと1人の手が、私の手にあたったのです。偶然?・・いや、そうでないのだと、次の瞬間気づきます。私の首すじや腕に、たくさんの人の手が延びてきたからです。私がそれらの手を払いのけると、彼らはやめるどころか、荒々しく大胆になりました。恐る恐る振り向くと、彼らの顔つきがさっきと明らかに違います。単なる“ふざけ”でないことを物語るようでした。弟は懸命に私をかばうのですが、何しろ相手が多すぎます。逃げるしかありません。それは、さらに彼らを逆上させたようです。後ろから延びてきた手が、今度は私のホッペタ、そしてお尻を掴み、大きなうめき声があがりました。
 「何やってるんだ!」
フロスカムです。ああ・・助かった・・彼は自分が盾になり、私達を家の門に。彼の妻と妹ふたりが、私をしっかりと抱いてくれました。

 私のGパンとTシャツというよくある旅姿が、彼らの世界で“ハダカに一番近い格好”であることを、私はあとに知りました。もちろんそれだけでなく、21歳で一家の大黒柱であるフロスカムと、まだ若く口ひげも生えてない弟、その違いが、彼らを豹変させる要因でもあったのだと思います。
その事件以来、フロスカムは、私に対して慎重に気を配るようになりました。
 混雑した映画館への入るときは、左右前後、数名の友人たちがガード。出るときは、映画が終わってしまう前。土産物屋でお金を払うときは、店の人に背を向けて取り出すこと。いつも何気ない誘導をしてくれます。

 そしてバラナシ最後の日、彼のいとこだと称する男が、私に話しかけてきた時がありました。
「ハロー!ボクは彼のいとこ。はじめまして!」
「ねえキミ、ネパールには行った?」
私が首を振ると、
「エー!ここまで来てネパールに行ってないなんてソンだよぉ」と驚き顔のいとこ。さかんにネパールのことを話します。
「ちょうどいい、明日家族でネパールに行くんだよ。あと1人、車に乗れるから一緒に行こう。もちろんお金はいらないしサ。ネッいい話でしょ。ボクは彼の“いとこ”だから、信頼できるよ!」
私は、今晩の列車で、カジュラホー村へと経つことにしていました。ネパールに行かなきゃソンソン、と言われれば、この機会が絶好のチャンスに思えてきます。しかも便乗すればタダ、それに、フロスカムのいとこ・・と私の中に迷いが生じたのです。
 それまで黙って聞いていたフロスカムが、いとこから離れた場所に私を呼んで言いました。
「あいつは確かに遠〜い親戚になるけど・・はっきり言ってイイヤツじゃない。・・それよりキミはネパールに行きたいのか? カジュラホー村に行きたいんじゃないのか? もし、ネパールに行きたいのなら、バスがいくらでも出てるんだよ」
私はハッと我に返りました。また平和ボケです。フロスカムとは信頼関係があっても、いとこの彼は、今会ったばかり。“いとこなんだよ”とやけに強調するのもオカシナ話です。
 旅の途中には、どうしようか・・と選択する場面がたくさんあります。決めるのは自分なのですね。相手のペースに流されるのでなく“自分はどうしたいのか”と問うことです。私の経験上?なんかヘンだなあ・・とよぎる“カン”は、けっこう当たりますよ。特に女性は、甘い言葉にご用心!

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