〜自己紹介と旅との出会い〜



こんにちわ。はじめまして。久米美都子です!
このページを開いて下さってありがとうございます。

私は、昭和39年生まれ。生まれも育ちも福岡です。
高校は久留米高校、その後、福岡女子短期大学にすすみました。英語が 超苦手だったから国文科です(笑)。今でもヘタなままです。
卒業後は、地場の印刷会社に就職。その後、初めてのアメリカ旅行をきっかけに 海外旅行専門の旅行会社に転職しました。
 このアメリカ旅行なんですが、私の旅の原点(困難は出会いの始まり)があることに、最近気がつきました。この旅行は、100名以上の団体で、添乗員さんが何人もいる、まさにおのぼりさんツアー。フリータイムは自力ではどこにも行けず、オプショナルツアーで埋め尽くしたわけです。そして、ラスベガスの夜の街散策ツアーで、友人とふたり、バスにおいて行かれて迷子に・・。最初は、信じられん!と憤慨していたんですが、結局、たくさんの現地の人と出会いが生まれて無事にホテルへ戻れました。普段は温厚な友人がとーっても怒ってましたねー。でも、私はちょっと違ったんです。充実感のようなものが沸き上がってきてですね。だって、迷子にならなかったら、あんなあったかい出会いはなかったんですから・・。

 転職した旅行会社は、格安航空券で自由旅行の手配をするのがメインの会社。格安航空券の存在すら知らなかった私にとって、お客さんは異次元の人たちでした。何でツアーじゃなく航空券だけで行けるの?何でひとりで行くの?と疑問だらけでしたね。だから、私は、そこで、そんな変わったお客さんと出会って、逆にいろんなことを教えてもらった気がするんです。
その後、パッケージツアーを企画・手配する会社に転職しました。旅行の 中身にあたる、海外現地の手配旅行社や運送機関などと話し、交渉し、提案し、ひとつ のツアー商品を作っていく仕事です。ツアーを販売してくれる旅行会社へ営業にも行かせてもらいました。手配提携先の外国人と深くかかわったことは、すばらしい経験になりました。
その後、今度は運送機関に転職することにしました。JR九州がちょうど船の事業を始めたときで、当時 は国内の福岡ー平戸ーハウステンボス航路のビートルと、海外の韓国(釜山)航 路のビートル2世を持っていました。予約のコントロールと、船とお客様を出入 国させることが仕事です。後半は、旅行会社に営業する仕事も受け持ちました。いかに ビートルを使って旅行商品にしてもらうか、いかにたくさんの人にビートルの快 適さをわかってもらうか、ものすごく一生懸命でした。みんなビートル(船)を愛してて一丸となってましたね(笑)。
 今では“船で海外旅行”も定着しているようですが、当時は“欠航”するイメ ージや、船は時間がかかってたいくつ?というイメージがあって、営業は戦いだったですよ。今ビートルは毎日毎日満席に近い状態で、海を飛ぶように走っていますから、うれしい限りです。

 その後、友人とふたりで念願だった小さな旅行会社を始めました。28歳のときです。
9年前というと、バブル崩壊後、旅行は価格破壊真っ最中でした。しかし、幸運にもチャンスに恵まれ、仕事は少しづつ動き始め、忙しい日が続きました。
でも1年後、私は会社を退くことを決めました。自分の中で大切なものが音をたてて崩れていきました。何を信じて、どう生きたらいいのか、わからなくなりました。 人とかかわるのが怖くなりました。すべてを・・仕事も友人も信用も失ったと思い、そして、旅に出ることを決めました。29歳にもなって、んなことして、何を考えてるんだ!と反対も多かったのですが、当時の私には、他の選択肢は見えなかったですねー。旅に出ることで、本来の自分をなんとか取り戻そうとしたのでしょうね。
 

 現在、夫とふたりの男の子(9歳と7歳)がいます。仕事は 夫とふたりで経営コンサルティング業をやっています。また、旅のエッセイを書き、大学で旅行業の国家資格を教えたり、旅行の相談(もちろんボランティア)にのる日々を送っています。 5年前、長男4歳次男2歳の時から、子連れバックパッカーでアジアのあちこちを年に2回旅しています子連れは、ひとり旅より、難しいです。子供を守んなきゃいけないですからね。その子供を守るためには、私自身が、ベストのコンディションを維持しなきゃいけない。今までのように、あー体調こわして下痢しちゃったーではすまされない(笑)。それでも、宿を探し、食堂を探し、バスで移動し、困難は多いけど、行き当たりばったり、やってます。好奇心旺盛な長男は9歳になり、言葉が通じなくてもお友達作りにがんばってます。ずっと恥ずかしがりやさんだった次男はも7歳になり、かなり積極的にいろんな現地の人と仲良くできるように成長しました。これからも、珍道中、続けていきます!

私の夢は、 “行きたくてもなかなか行けない人たち”の旅を応援することです。 具体的に言えば、体の不自由な方、お年寄りの方、子供たち。 応援と言っても、お世話をしてあげる、というようなものでなく、一緒に楽しむ 提案です。子供が大きくなったら、私自身が、まず体の不自由な人と一緒に旅したい と思っています。
また、世界中の子供たち同士がふれあえる交流ツアーを企画したいですね。観る、ことより、仲良くなる、理解することを学べるツアーとか。

もちろん“女性のひとり旅”も応援し続けます。気軽に、私が知ってそうなこと?は聞いてください。
 こんな私です。宜しくお願いします。
2005年4月6日、我が家はある決心をしました。1年後、2006年4月、家族で1年間世界一周の旅にでることを!

で、無事、2007年3月30日、帰国しましたー!感謝!

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