東欧唯一の日本人宿テレザ


〜オーストリア〜ハンガリー〜


ウィーンからの列車はブダペストのケラティ駅に到着した。
イスラエルで出逢ったユーゴさんから言われたとおり地下鉄に乗り、テレザハウスに 向かった。安宿というより、個人の家の“間貸し”で、プライベートハウスと 呼ばれるものだ。
コの字型をしたビルの入口から眺めていると、一番奥の棟から
「ここですよ、テレザハウスは」
と日本人の声。ちょうど出かけようとしていたらしい。
「テレザは今出かけてるけど、空いてますよ」
その人はそうつけ加えた。

ブタペストは4年半前訪れた時より、見違えるように賑やかになっていた。観光客用 のレストランやカフェが並び、スーパーには安くて豊富な品物、ファーストフーズの 店も両替屋もたくさんできていた。
食事時間でない時に、開いてるレストランを一生懸命探したことが信じられないくら いである。
でも、ドナウの大きな流れと、ひっそりとした石畳や何気ない古い建築物は、変わっ てない。
地下鉄のコンコースや広場からは、マジャール人たちの演奏が聞こえていた。たて笛 を何本もくっつけたような楽器からの音色は、たくさんの人の足を立ち止まらせてい た。以前と同じように。


テレザは、とてもきれい好きで明るいおばさんだった。でも部屋が散らかっていると、 とたんに機嫌が悪くする。共同冷蔵庫もちょくちょく開けてはチェックし、食べかけ のヨーグルトなんて、容赦なく捨てられてしまう。機嫌がいい日には、手料理をふる まってくれる。ハンガリーを代表する料理のひとつである“グヤーシュ”は、どこの レストランよりおいしいと評判だった。
テレザはベッドが空くことがわかると、ケラティ駅に客引きに出かけていく。空振り で戻ってくると、
「客引き!、ケラティ、ジャパン!」
と機嫌が悪い顔で、言い寄ってくる。「ヒマなら日本人連れてきてよ!」というとこ だろう。グヤーシュをタダで食べた翌日は要注意だから・・とひとりが笑って教えて くれた。1泊1ベッドが500フォリント(約500円)。心地良い宿である。


テレザハウスには、5人の日本人とオーストリア人がいた。昼間はそれぞれに行動し 、夜には100円のワインや40円のビールを持ち寄って、お互いの旅の話に集中 した。パスポートを2度も取られて、領事官の人に「もう日本に帰った方がいいんじ ゃないですか」と言われた話。強盗が宿に侵入してきて縄で縛られて、自分の荷物を 物色されるまま何もできなかったという話。いくら話しても尽きないぐらいだ。
テレザハウスには2冊の日本語の情報ノートがあった。今まで訪れた日本人たちが書 いていったもので、世界各国にわたる。それによると私の次の目的地ロシアは、原則 としてビザを取得するのに、滞在都市の手配や現地からの招待状を必要としていてい る。旅行会社が代行してくれるけれども高くつく。このノートを見て、私はモスクワ のゲストハウスに、招待状の作成を頼むFAXを送ってみることにした。
FAXは町の郵便局でも流せるが、いつ来るかわからない返事をもらうために、ホテ ルのビジネスセンターから流すことにしよう。
しかしモスクワからの返事はなかなかこなかった。情報は1年前のものである。今は やってないのかもしれない。
『ダメならポーランドに行ってみるか・・』
とあきらめかけたその日、自分の名前が書かれた招待状が届いた。これでひとつクリ アできたわけだ。

今度はウクライナのビザである。
ロシア領事官もそうだったが、領事館というところのオープンの時間は毎日でなく、 ウクライナもそうだと思われる。インフォメーションで住所はわかるが、開いてい るかどうかは「確認してください」と言われた。
情報ノートにも、ウクナイナに関しては殆ど情報がない。私はロシア領事官を出ると ウクライナ領事官の住所をたよりにまた地下鉄に乗った。
こうして自分で、ひとつひとつ目的地に向かって手続きをすることは、ムダ足なこと も多く、時間も労力も倍かかってしまったりする。でも時間が許せるならば、目的地 までタクシーを使うより、迷いながら歩くことにとって思いがけない出逢いがあると 思う。


長い旅の途中でテレザハウスに立ち寄ると、ついつい長居してしまうらしい。快適な 宿と仲間とおいしい食べ物があるからだと思う。今までの旅 の緊張感を忘れさせてくれる。日本語混じりのテレザの声を聞きながら、ゆっくり日 本人同士語らい、次の国への緊張と不安を、また快く思える時が来たら、その人から テレザハウスを出発していくように思えた。
「またどっかで会うかもしれませんね・・・じゃあ」


●次は幻のサイベリアトレイン(ロシア)です。

先頭ページに戻る